かつては「東洋の魔女」と呼ばれ、世界中がその強さを恐れたバレーボールの女子日本代表。
以後低迷期や復活期があった歴代の代表チームを率いてきたのが監督です。
ある人物は厳しいスパルタ方式で、またある人物は選手の長所を褒める指導で、それぞれに選手たちを率いてきました。
今回は、女子バレーボールの歴代監督を調査。
各監督の特徴や、主な大会で残した成績もご紹介します。
【女子バレー】歴代監督一覧
女子バレーの日本代表監督の大きな特徴は、主に男性が務めてきたこと。
女性監督は過去に2人のみです。
歴代の監督にはいったいどのような人物がいたのでしょうか。
監督一覧
日本の女子バレーは1951年に国際バレーボール連盟に加盟。
1960年の第3回世界選手権に全日本チームとして初参加しました。
以後の全監督がこちら。
()内は再度就任した回数
監督 | 在任期間 |
前田豊 | 1960年 |
大松博文 | 1961〜1964年 |
船山浩志 | 1966〜1967年 |
前田豊(2回目) | 1967年 |
山田重雄 | 1967〜1968年 |
小島孝治 | 1970〜1972年 |
船山浩志(2回目) | 1973年 |
山田重雄(2回目) | 1973〜1978年 |
小島孝治(2回目) | 1978〜1982年 |
生沼スミエ | 1982年 |
米田一典 | 1983〜1984年 |
小島孝治(3回目) | 1985〜1986年 |
岩本洋 | 1987年 |
山田重雄(3回目) | 1988年 |
宗内徳行 | 1989年 |
米田一典(2回目) | 1990〜1993年 |
横田忠義 | 1994年 |
小島孝治(4回目) | 1995年 |
吉田国昭 | 1996年 |
葛和伸元 | 1997〜2000年 |
吉川正博 | 2001〜2002年 |
柳本晶一 | 2003〜2008年 |
眞鍋政義 | 2009〜2016年 |
中田久美 | 2017年〜2021年 |
眞鍋政義(2回目) | 2021年〜 |
2023年9月までに16人が監督を務めています。
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【女子バレー】歴代監督一覧|各監督の特徴と成績
監督たちはそれぞれの指導方法で全日本チームを勝利へと導きました。
各監督の主な成績はどのようなものだったのでしょうか。
前田豊
バレーボール女子日本代表初代監督の前田豊氏は、日本バレーボール協会副会長や国際バレーボール連盟(FIVB)副会長、アジアバレーボール連盟会長、日本体育協会理事など多くの要職に就いた人物。
「日本のバレーボールの育ての親」とも呼ばれています。
初の世界大会挑戦となった第3回世界選手権では予選リーグを全勝で通過し、決勝リーグでも強豪国を撃破。見事に銀メダルを獲得しました。
大松博文
大松博文氏はニチボー貝塚の監督だった人物。
「鬼の大松」と呼ばれるほど厳しいトレーニングで知られました。
無敗を誇ったニチボー貝塚は第4回女子世界選手権に日本代表として出場し、見事に優勝。
さらに日本代表は東京オリンピックでも金メダルを獲得し、チームは「東洋の魔女」と恐れられました。
船山浩志
船山浩志氏はヤシカの監督だった人物。
1966年の全日本代表選手選考会で日紡貝塚に大金星を上げ、日紡貝塚の公式戦連勝記録(258連勝)をストップさせました。
そして1966年に日本女子代表監督に就任すると第5回世界選手権で優勝。
また2度目の日本代表監督を務めた1973年には第1回ワールドカップバレーで準優勝という成績を収めました。
山田重雄
山田重雄氏は理詰めの戦術で「知将」と呼ばれた監督。日立の監督として黄金期を築くと、その日立の選手を中心とした全日本を率いてメキシコ五輪で銀メダル、モントリオール五輪で金メダルを獲得しました。また世界選手権、ワールドカップバレーでも金メダルを獲得し、世界初の三冠監督となっています。
小島孝治
小島孝治氏は日本の「つなぐバレー」の基礎を作った監督。
代表監督を4度務めています。
第1期にはミュンヘン五輪で銀メダルを獲得。第2期にはモスクワ五輪で金メダルに輝きました。さらにワールドカップバレーでも銀メダルを獲得。
続く第3期、第4期では世界のバレーボールのパワーとスピードに苦しむことになりましたが、日本代表として通算232勝の成績は歴代1位となっています。
生沼スミエ
生沼スミエ氏は全日本バレーでは初の女性監督。
現役時代には山田重雄監督の下でセッターとして活躍し、日立の黄金時代を築きました。さらに全日本女子チームでも世界選手権の優勝、メキシコ五輪とミュンヘン五輪の銀メダルに貢献。
監督としては第9回アジア競技大会で準優勝を記録しています。
米田一典
米田一典氏はコーチとして山田重雄監督を支えた後、ロサンゼルスオリンピックで監督に就任。この大会で銅メダルを獲得すると、バルセロナオリンピックでは5位の成績を残しました。
全日本女子監督として通算204勝は歴代2位の記録です。
岩本洋
岩本洋氏は1987年に全日本女子チームの監督、1996年にはアトランタ五輪のビーチバレー女子監督を務めた人物。
アジア選手権では準優勝の成績となりました。
また日本ソフトバレーボール連盟副理事長やビーチバレー強化委員会委員長などを歴任した人物でもあります。
宗内徳行
宗内徳行氏は神戸ユニバーシアードで女子日本代表監督を務め、優勝した後、全日本女子監督となった人物。
ワールドカップバレーでは4位の成績となりました。
横田忠義
横田忠義氏は選手としてメキシコ五輪の銀メダル、ミュンヘン五輪の金メダルに貢献した人物。
全日本女子監督としてはアジア大会3位、世界選手権7位という成績でした。
吉田国昭
吉田国昭氏はユニチカの監督を経て全日本女子代表の監督となった人物。
しかし期待されたアトランタオリンピックでは9位の成績となり、責任を取って辞任しました。
葛和伸元
葛和伸元氏は日本電気女子バレー部監督としてVリーグ優勝に導き、全日本女子代表の監督に就任した人物。
チームの大型化を目指しましたが、シドニーオリンピックを目指した予選で敗退し、日本女子バレー史上初めて五輪出場を逃す結果に終わってしまいました。
吉川正博
吉川正博氏はNECレッドロケッツの監督を経て全日本女子代表の監督に就任した人物。
グラチャンバレーで銅メダルを獲得しましたが、日本女子バレー史上初のアジア選手権メダル無し、世界選手権予選落ちという結果に終わり、責任を取る形で辞任しました。
柳本晶一
柳本晶一氏は「全日本女子バレー復活請負人」と呼ばれた監督。
ワールドカップバレーでは強豪のキューバから金星を挙げ5位となり、アテネオリンピックの予選では2大会ぶりの出場権を獲得。本大会では5位の成績を残しました。
さらに北京オリンピックの出場権も獲得。こちらも本大会では5位の成績となりました。
眞鍋政義
眞鍋政義氏は現在2期目の監督を務めている人物。
「IDバレー」を掲げて臨んだ前期には、世界バレーで32年ぶりとなるメダル(銅メダル)を獲得。ロンドン五輪でも28年ぶりとなるメダル(銅メダル)に輝きました。
中田久美
中田久美氏は選手時代に女子最多となる4度の最高殊勲選手賞を受賞した人物。
日本女子バレー史上初となる3度の五輪出場を果たし、日本選手団の旗手も務めました。
女子日本代表の監督を約5年間務め、熱血指導で知られました。
しかし自国開催の東京五輪で1次リーグ敗退という結果に終わってしまったため、責任を取って辞任しています。
まとめ
世界デビュー直後からの快進撃のあと、低迷期を経て復活しつつある日本の女子バレー。
歴代の監督はどの時代であっても巨大なプレッシャーと闘ってきたに違いありません。
全日本の国際試合では、世界の強豪に挑む選手たちだけでなく、監督の姿や言葉にもご注目ください。
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