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【卓球】歴史(起源~現在)を解説!貴族のスポーツだった?

圧倒的な強さを誇る中国に日本人選手が挑んでいる卓球。

この卓球はどこでどのようにして生まれたスポーツなのでしょうか。

そしてテーブルテニス、ピンポンなどの呼び名のルーツは?

ここでは、卓球の歴史についてご紹介します。

【卓球】歴史 起源の有力説

【卓球】歴史(起源~現在)を解説!貴族のスポーツだった?①

卓球の英語名はテーブルテニス

ではテニスがそのルーツなのかというと、正解でもあり、そうではないとも言えます。

実は卓球の起源にはいくつもの説があるのです。

その中で有力なものは2つ。

まずはその説をご紹介します。

ゴッシマテニス説

1つめは、インドのゴッシマテニスがルーツだという説。

ゴッシマテニスはテーブルの中央にネットを立て、ボールをラケットで打ち合うスポーツ。

まさに卓球そっくりな競技で、これが1880年代にイギリスに伝わって貴族の間で流行したと伝えられています。

このゴッシマテニスのさらにルーツとなるのは、イギリスからインドに伝わったテニス。

その意味で、卓球はゴッシマテニスがルーツだがその源流はテニスだとも言えます。

テニス選手説

2つめはイギリスのテニス選手が始めたという説です。

19世紀の後半、テニスはイギリスの国民的スポーツでした。

しかしにわか雨の多いイギリスではテニスが中断することも多く、その間の暇つぶしとして、室内のテーブルにネットを貼った卓球が行われたそうです。

この説が正しければ、卓球の直接的なルーツはテニスということになります。

貴族の卓球

現在ではこの2つの説はどちらも正しく、イギリス各地で自然発生的に卓球が生まれて流行したのではないかと言われています。

そして特に卓球を楽しんだのは、イギリスの貴族階級

彼らは上流階級らしく、ラケット代わりに葉巻入れのフタを使い、ボールの代わりにシャンパンのコルクを丸めたものを使っていたそうです。

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【卓球】歴史 卓球協会の発足

【卓球】歴史(起源~現在)を解説!貴族のスポーツだった?②

日本では卓球は真剣なスポーツでピンポンは手軽な遊びというイメージを持つ人が多くいますが、本当にそうなのでしょうか。

卓球の協会が最初に作られたのはイギリス。

その最初の協会は、実は「ピンポン協会」なのです。

ピンポン協会からテーブルテニス協会へ

そもそもピンポンという名前は、コルクのボールに代わって登場したセルロイド球とラケットをセットにした商品の名前

1900年に発売されたこのボールは打つとピン・ポンという音が響くため、この名が付きました。

イギリスではこれが大流行。

テーブルテニスという名前はまだ浸透していなかったため、ピンポンが一般名詞化してスポーツの名前になったのです。
そして1922年にはイギリスピンポン協会が発足

ところがセットを発売していた会社が「ピンポン」を商標登録していたため、「ピンポン大会を開くならすべてウチの商品を使うべきだ」と主張しました。

そこでピンポン協会は法律問題を避けるため即座に解散。

名前を変えてテーブルテニス協会を発足させました。

そのため現在の国際卓球連盟も、ピンポンという名前は決して使わないそうです。

ちなみに中国ではこの名前がそのまま残っていて、卓球は「ピンパンチュウ」と呼ばれます。

日本でも最初にピンポンという名が浸透しましたが、このピン・ポンという音はゆっくり打たないと出ないもの。

そのため今では回転をかける真剣な打ち方を「卓球」、遊びのような打ち方を「ピンポン」と呼ぶことが一般的になりました。

【卓球】歴史 世界への伝播と発展

【卓球】歴史(起源~現在)を解説!貴族のスポーツだった?③

貴族のスポーツだった卓球は、セルロイドの球を使うようになって一気に大流行しました。

それは道具が安く、家庭のテーブルででき、少人数で、しかも男性でも女性でも楽しめたから。

卓球は協会が作られるよりずっと前に全世界に広がりました。

日本への伝来

日本に卓球が伝わったのは1902年

坪井玄道という人物がイギリスから道具を持ち帰り、東大前にあったスポーツ用品店の美満津商店にコートを作らせたのが始まりです。

さらに1903年の博覧会に美満津商店が「ピンポン遊戯室」を設置し、模範試合を披露。

安くて家庭でも楽しめる卓球は東京・大阪を中心に大人気になりました。

そして1921年には大日本卓球協会が誕生し、日本初の統一ルールを制定

その後3つの卓球組織が誕生して、それぞれに大会を開いていましたが、1931年に、現在の日本卓球協会の前身である「日本卓球会」に統一されました。

卓球鎖国から卓球王国へ

独自の日本統一ルールを決めるなど、卓球鎖国状態だった日本。

ところが第2次世界大戦後、国際試合に参加すると、日本の卓球界は世界に大きく遅れをとっていることが発覚します。

例えば世界ではすでにラバーのラケットが主流でしたが、日本では木にコルクを貼ったラケットを使用していました。

これに衝撃を受けた日本は、遅れを取り戻すため、独自の技術力で卓球ラケットの改良を開始。

より簡単に回転をかけられる裏ラバーやスポンジラバー、粒高ラバーなどを次々に生み出しました。

その結果、1952年の世界選手権大会では7種目中4種目で優勝

1960年代に入って中国が台頭するまで、日本は卓球王国と呼ばれました。

現在の隆盛

1988年、卓球はオリンピックの正式種目に加わりました。

この時、野球も申請されていましたが、「最低50カ国、3大陸で普及していること」という基準を満たせず落選。

一方の卓球は国際卓球協会に125の国と地域が加入し、6大陸で普及しているなど、基準を軽くクリアしていました。

その後2017年には国際卓球協会の加盟数は226に到達。

これは国際スポーツ連盟(協会)に登録可能なすべての国と地域が加盟したということで、もちろんスポーツ競技団体初の偉業でした。

まとめ

イギリス貴族の暇つぶしとして生まれた卓球。

当時の貴族たちは、まさかその遊びがあらゆる国と地域に普及するとは想像もしなかったのではないでしょうか。

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おおぱ!

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寝ても覚めてもスポーツ漬け

スポーツ一家に育ち、休日はテニスとランニング。空き時間はほぼスポーツ観戦。夢の中ではなぜかやたらといろいろなスポーツのプロ選手になっている夢中派執筆家です。皆さまにスポーツ愛を届けます!

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