競輪界最大のレースといえば「KEIRINグランプリ」。
高額の賞金、そして毎年年末に開催されることから「競輪界の1年の総決算」と言われています。
このKEIRINグランプリ、優勝者にはどのような選手がいるのでしょうか。
今回は、KEIRINグランプリの歴代優勝者と、代表的な選手の特徴をご紹介します。
【KEIRIN】グランプリとは
KEIRINグランプリは、年に6回開催されるGIレースの優勝者と賞金ランキング上位者、合計9名に出場資格が与えられるレース。
その年の「真の競輪王者決定戦」と言える1レースの一発勝負です。
またその年の最終日の最終レースに行なわれるため、「グランプリファイナル」とも言われています。
競輪最上位のレースで、当然ながら1年で最も盛り上がることに。
そしてKEIRINグランプリは400mバンク7周の2825mで行われるのも特徴です。
競輪の多くのレースは1625mから2025m、GIの決勝でも2425m前後ですから、KEIRINグランプリは最も距離が長いレースとなっています。
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【KEIRIN】グランプリ歴代優勝者一覧
KEIRINグランプリが始まったのは1985年。
当初の1着賞金は1000万円でした。
そして賞金は少しずつ増額され、2004年の第20回でついに1億円を突破。
2022年には1億1880万円となっています。
その意味でもここで優勝することは全ての競輪選手の目標なのです。
歴代優勝者
ではその歴代優勝者にはどのような選手がいるのでしょうか。
第1回から一覧でご紹介します。
1 | 1985年 | 中野浩一 |
2 | 1986年 | 井上茂徳 |
3 | 1987年 | 滝澤正光 |
4 | 1988年 | 井上茂徳 |
5 | 1989年 | ※中止 |
6 | 1990年 | 坂本勉 |
7 | 1991年 | 鈴木誠 |
8 | 1992年 | 吉岡稔真 |
9 | 1993年 | 滝澤正光 |
10 | 1994年 | 井上茂徳 |
11 | 1995年 | 吉岡稔真 |
12 | 1996年 | 小橋正義 |
13 | 1997年 | 山田裕仁 |
14 | 1998年 | 山口幸二 |
15 | 1999年 | 太田真一 |
16 | 2000年 | 児玉広志 |
17 | 2001年 | 伏見俊昭 |
18 | 2002年 | 山田裕仁 |
19 | 2003年 | 山田裕仁 |
20 | 2004年 | 小野俊之 |
21 | 2005年 | 加藤慎平 |
22 | 2006年 | 有坂直樹 |
23 | 2007年 | 伏見俊昭 |
24 | 2008年 | 井上昌己 |
25 | 2009年 | 海老根恵太 |
26 | 2010年 | 村上博幸 |
27 | 2011年 | 山口幸二 |
28 | 2012年 | 村上義弘 |
29 | 2013年 | 金子貴志 |
30 | 2014年 | 武田豊樹 |
31 | 2015年 | 浅井康太 |
32 | 2016年 | 村上義弘 |
33 | 2017年 | 浅井康太 |
34 | 2018年 | 三谷竜生 |
35 | 2019年 | 佐藤慎太郎 |
36 | 2020年 | 和田健太郎 |
37 | 2021年 | 古性優作 |
38 | 2022年 | 脇本雄太 |
複数回優勝しているのは7人。
井上茂徳選手と山田裕仁選手が3回、滝澤正光選手、吉岡稔真選手、山口幸二選手、村上義弘選手、浅井康太選手が2回となっています。
【KEIRIN】グランプリ 代表的な選手の特徴
選ばれた選手の中のトップとなるKEIRINグランプリ優勝選手。
その中にはどのような選手がいるのでしょうか。
中野浩一
競輪の発祥である1951年の第1回競輪祭から約35年が経ち、売上の下降が続いていた1985年に夢・華・話題性のあるイベントとして誕生したKEIRINグランプリ。
その記念すべき第1回大会で優勝したのは、当時トラック競技の世界選手権で9年連続優勝を果たしていた中野浩一選手でした。
中野浩一選手といえば世界に知られた「スプリントの皇帝」。
競輪ではプロデビューした1975年シーズンにいきなり18連勝を記録し、1992年の引退までに169開催で優勝、生涯獲得賞金は13億2000万円というまさにレジェンドです。
ケイリンがオリンピック種目になったのも中野選手の世界的な活躍があったからと言われています。
井上茂徳
KEIRINグランプリで3度優勝している井上茂徳選手は、競輪史上初めてグランドスラムを達成した、こちらも競輪界のレジェンドです。
競輪のグランドスラムとは、4日制以上のすべてのGIレースで優勝すること。具体的には、「全日本選抜競輪」「日本選手権競輪(競輪ダービー)」「高松宮記念杯競輪」「オールスター競輪」「寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント」「競輪祭」の6つのレースを制覇することですが、井上選手の時代は「寬仁親王杯牌」がGIレースに登録される前で、合計5つのレースでした。
井上茂徳選手はもともと先行選手として活躍していましたが、追い込み選手に転向すると一気に成績を上げ、1988年にグランドスラムを達成。
生涯獲得賞金は、15億6643万4532円で歴代9位に入っています。
山田裕仁
井上選手と同じくKEIRINグランプリで3度優勝している山田裕仁選手は183cmの長身選手。
1988年にデビューし2014年に引退した選手で、生涯獲得賞金19億1782万5099円は歴代3位となっています。
現役初期の頃は実力が評価されながらもタイトルが取れず、「無冠の帝王」と呼ばれていました。しかし1997年のKEIRINグランプリ優勝をきっかけに「無冠の帝王」の名を返上。その後は数多くの勝利を重ねました。
現在は競輪評論家として活躍しています。
滝澤正光
KEIRINグランプリで2度優勝している滝澤正光選手は史上2人目のグランドスラム達成者。
1979年にデビューし、長年競輪界のトップに君臨した選手です。
生涯獲得賞金17億5644万円は歴代4位。
その真摯な態度から愛称は「滝澤先生」でしたが、2007年には現役選手でありながら当時の日本競輪学校の名誉教諭に就任しました。
そして2008年に引退すると2010年からは日本競輪選手養成所の第23代所長に。名誉教諭兼務で後進を育成しています。
村上義弘
KEIRINグランプリで2度優勝している村上義弘選手は、師匠を持つのが一般的な競輪界では珍しく、師匠を持たなかった選手。
それでも1994年にデビューし、2022年11月に引退するまでに生涯獲得賞金19億7690万3189円を獲得しました。これはKEIRINグランプリ優勝経験のない神山雄一郎選手に次ぐ歴代2位の記録です。
安定した走りで素晴らしい成果を残し、競輪ファンからは「先行なら村上義弘」と言われました。
まとめ
一流中の一流のみが出場できるKEIRINグランプリ。その歴代優勝者には錚々たる顔ぶれが並んでいます。
一方で28億円以上の歴代最高賞金額を記録し、GIで16勝、年間賞金王5回、グランドスラム達成という輝かしい実績を残している神山雄一郎選手が唯一手に入れられなかったのが、このKEIRINグランプリ。
神山選手は通算16回の最多出場を誇りながら、ついに優勝できませんでした。特に1995年から1998年には4年連続で2着。「神でも勝てないKEIRINグランプリ」と言われました。
多くのドラマを生んできたKEIRINグランプリ、次のチャンピオンはどのような選手なのでしょうか。
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