今回は、子ども達にサッカーを指導していくにあたり、指導者はどう在るべきかというテーマで書いてみたいと思います。
ここでいう「子ども達」とは、幼児〜高校生までを想定しています。
その年代によって指導する内容もその目的も変わってくるかとは思いますが、しかし「大人として、指導者として、どう在るべきか」というところは、幼児〜高校生、全ての年代に共通する大前提なのだと思います。
何をやるか、どうやるかの前に、まずはどう在るべきか。この大前提がない状態で、子ども達への指導などしてはいけませんよね。
今回は、そんなお話です。
どうやるかの前に、どう在るべきか
先ほども書いたように、どうやるかの前に、どう在るべきか。大人として、指導者として。
「在るべきか」をもっとライトな言い方に換えるとするならば、どういうスタンスでいるか、ということでしょうか。
「やる」ではなく「ある」
「スタイル」ではなく「スタンス」
日本語も英語も、ともにちょっとした違いだけれど大きな違いですねぇ。言葉って、面白いものです。
どのような練習メニューをやるのかも大事ですが、それ以上に、指導者としてどのようなスタンスで練習や試合に臨むのか。
もちろん練習や試合だけでなく、目の前の子達とこれから数年間関わっていくとしたならば、まずは大人としてどう在るべきかというところをしっかりと持ち、その上で、どういうスタンスで指導をしていくのか。
どのようなメニューをやろうかな、と考える前に「今日はどのような雰囲気で子ども達に接しようかな」と、まずは自分自身に意識を向けること。指導はそこから始まると言ってもいいでしょう。
子ども達の未来に触れている
言うまでもなく、子ども達に関わる指導者ならば、肝に銘じなければいけないことは「自分は、この子達の未来に触れている」ということです。
今、目先のことだけに囚われてしまうのか、それとも、その子達の数年後を見据えた上で関わっていくのか。
これを読んでいる指導者の方がもし、今目の前で行われているその試合、もしくは今週末の試合に勝つことだけを考えるような方ならば、きっとそれ相応の「コーチング」や「それ用の練習」があるでしょう。
そしてメンバーを固定して、いつも主力だけを出場させて結果を出してしまえばいいですよね。
でも子ども達と関わるのならば、それでは決していけない。
試合に勝つことも自信をつける意味では大事かもしれませんが、同じく勝つのならば、どう勝つのか。そこに、価値を見出してほしいと思います。
どうせ勝つのならば、固定された主力メンバーだけでなく、多くの選手を出した上で勝ちましょうよ。
もしかしたらそれで勝ちを逃すこともあるかもしれないけれど、それを恐れないような指導者でありたい。僕は、そう思います。
そういうスタンスで試合に臨み、子ども達が思う存分のびのびとプレーをし、多くの子が試合に出る。
それで敗れてしまったとします。しかし勝ちは逃したとしても、子ども達の成長をまず第一に考えて試合に臨んだあなたの価値は何ら下がらず、むしろ上がるのではないでしょうか。
今こういう技術を教えることが、いつ何のために繋がっていくのか。週末の試合なのか、それともその子の数年後に活きることなのか。
技術に限らず「これはサッカーを続けていく上で必要なことだから、今教えるんだ」「そしてこれが決して遠回りでも、結果として週末の試合に勝てなくても、それでいい」というスタンスを維持できるのか。
今のためなのか、これからのためなのか。
指導者としてどう在るべきかを考えたならば、答えは明確ですよね。本当の価値は、そこで決まってくるはずです。
最初の指導者、最後の指導者
例えば幼児や小学校低学年の子があなたのチームに入団して、そこで初めてサッカーをするとしたならば。その子のサッカー人生にとって、あなたは「最初の指導者」になるわけです。
最初の指導者。こう言われるとめちゃくちゃ責任重大ですよね。サッカーの第一印象を、あなたがほぼ決めてしまうかもしれません。
「最初のコーチのせいでサッカーが嫌になった」なんて、言われたくないじゃないですか。
逆に「あのコーチが最初のコーチだったおかげで、僕はサッカーを好きになってずっと続けていくことができた」なんて言われたら。これはもう最高に、コーチ冥利に尽きますよね。
最初の指導者がいるのならば、最後の指導者もいますよね。
大部分の選手は、高校でサッカーを辞めてしまいます。大学に行って部活で続ける選手はひと握りだし、ましてやプロなんて、ほんのほんのひと握り。
もちろん大学のサークルや大人の草サッカーなどでサッカーを続けることもあるでしょうが、そういう場には、指導者ってほぼいないですよね。
なのできちんと指導者がついているのは高校生まで、というケースがほとんどでしょう。
そう考えると、もしあなたが高校生に関わる指導者だとしたら。あなたはその高校生にとっての「最後の指導者」になるわけです。
最初の指導者も責任重大だけれど、最後の指導者も⋯これはかなり責任重大じゃないですか。
「あの人のせいで、サッカー人生最後の3年間がつまらなかった」
「もうサッカーはしたくない」なんて言われたら。指導者としてこれほど悲しく、恥ずかしいことはありません。
逆に、「あの人のおかげで、サッカー人生最後の3年間が本当に楽しかった」
「もっとサッカーを続けたい」なんて言ってくれたら。
指導者として、この上ない喜びですよね。
そしてそれは、その指導者が「どのような練習メニューの持ち主だったか」で決まるのではなく、どのような人で、どのようなスタンスで接してくれていたのか、で決まるのではないでしょうか。
選手の心に残るのは、そういう姿だと思うのです。
まとめ
今、書いていて気づきました。「どう在るべきか」「どのようなスタンスで」というのは、結局わかりやすく言えば、その人が選手達に見せる「姿」そのものなのではないでしょうか。
人柄も信念も、振る舞い(言動)に表れます。試合に敗れたときや選手がミスをしたときにどういう振る舞いをするのか、つまりどのような「姿」を選手に見せるのかで、その指導者の本当のスタンスもわかるのでしょう。
今回「指導のやり方の前に指導者としてのあり方が大事!」と書いたので、では実際にどう指導をやるべきなのかということについて、次回は書いてみたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。