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パルクールの歴史・競技人口・ルール・大会【スポーツ辞典】

パルクール。この言葉をまだ聞いたこともない、聞いたことはあるけれどどんな種目かはあまり知らない。そんな方も多いのではないでしょうか。実際、私もそうでした。

パルクールは、走る、跳ぶ、登るというような移動動作を通じて心身を鍛えるという概念を持つスポーツです。

それだけでなく、壁や地形などを利用して飛び移る、飛び降りる、回転するなどのダイナミックな動作も含め、スポーツの種目としてだけでなく、人に「魅せる」パフォーマンスとしても注目されています。

今回はそんなパルクールについて、解説していきます。

パルクールの起源・歴史について

パルクールの起源は、第一次世界大戦〜第二次世界大戦中において、フランス軍隊でのスタンダードなトレーニングであった「methode naturelle」というトレーニングのメソッドにまで遡ることになります。

この methode naturelle は「歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ」といった10種の基本的な運動から成り立っているものでしたが、この methode naturelle をベースに誕生したのが「parcours du combattant」という、障害物ありのコース形式による軍事訓練でした。
パルクールの誕生の背景には、この「methode naturelle」や「parcours du combattant」の影響が強くあります。

パルクールの歴史としては、1946年に始まった第一次インドシナ戦争で、父を失い孤児となったレイモンド・ベルという少年がいました。
インドシナ(現在のベトナム)にある戦争孤児院で生活を始めたレイモンドは、自身が戦争の犠牲者にならないためにと、深夜まだ誰も起きていない時間に起き、ランニングや木登りといったトレーニングに加え、軍隊に秘密裏に設置された障害物コースでトレーニングを続けました。

1954年の第一次インドシナ戦争が終わりフランスに戻ったレイモンドは、パリで軍隊教育を受け続け、フランス軍の管理下に置かれている消防士の職に就きます。

1984年、レイモンドの息子、11歳のダヴィット・ベルは、当時経験していた陸上競技や体操競技では満足できなかったため、父・レイモンドから「Le parcours」を教わることになります。

レイモンドは、かつて自身が過去に培ったさまざまなトレーニングを包括する言葉として Le parcours と称してきました。ダヴィットは、父・レイモンドから Le parcours の全てを学ぶことになります。

1997年にダヴィットは、友人・セバスチャン・フォーカンらと共に「Yamakasi」という9人グループを結成し、パリでのさまざまなパフォーマンスショーに出演し、次第にそのアクション的な側面が注目をされ始めます。

彼らは当時、自身達がやっているトレーニングを「Łart du déplacement(英訳:The art of movement)」と称してきましたが、その定義に関する不和や方向性などから、ダヴィットとセバスチャンはYamakasiを去ることになります。

1998年、Yamakasiを去ったダヴィットとセバスチャンにより、新たに「Parkour」(パルクール)という単語が誕生しました。

その後、
2001年・映画「YAMAKASI」
2003年・ドキュメンタリー「Jump London」
2004年・映画「Banlieue13」(ダヴィット・ベル主演)
などにより、パルクールは世界中で注目を浴び、世界中で実践されるようになりました。

日本におけるパルクールの歴史について

2001年に映画「YAMAKASI」が公開され、翌年以降、少しずつ競技人口が増えていきます。

またテレビ番組やメディアなどでパルクールが紹介されることが増え、さらに泉ひかり選手や山本華歩選手が出演したCMの影響などもあり、認知度は確実に上がってきているようです。2014年には日本パルクール協会も設立されました。(2018年に一般社団法人化)

また、2020年には総合格闘技のスター・朝倉海選手が自身のYouTubeでパルクールに挑戦した動画がとても話題になりましたし、これからますます注目され、競技としてだけでなく、趣味や遊び、トレーニングとしても人気が出てくるのではないでしょうか。

パルクールと関連のあるスポーツ(派生したスポーツ)

パルクールにおいて多く行われる「歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる」といった移動に関する基本動作や、鉄棒から鉄棒に飛び移る動作、高所から飛び降り受け身をとるというダイナミックな動作は、近年、陸上競技やスポーツクライミング、体操、ダンスなどで多く見られます。

これらの動きはパルクールの実践者達が長年の実践の中で、パルクールのために発見し開発した動作であり、効率的で安全な実践、新しい身体動作に焦点が当てられた、パルクール独自の発想が加えられたものが多いです。

パルクールから派生したスポーツ、という定義からは外れるかもしれませんが、関連性のあるものとしては、体操競技が最も近い存在なのではないでしょうか。

また「パルクール鬼ごっこ(チェイスタグ)」ものもあり、その世界大会も行われるようになりました。

パルクールの競技人口について(日本国内、世界)

パルクールは競技やトレーニングに分かれ、さらにパルクールそのものを定義する概念もさまざまなことから、正確な人口を把握できていないのが現状のようです。

イギリスでは、パルクール人口は10万人を超えているという調査もあります。日本でも正式な調査は行われていないようですが、日本での競技人口は1000人程度と言われています。

パルクールのルールについて

パルクールの大会で主に行われるスピードラン、フリースタイルのルールを紹介します。

①スピードラン
オブスタクルと呼ばれる障害物を超えながらゴールを目指し、そのタイムを競います。
スタートラインに設置されるカウントダウンによタイマーにより、15秒のカウントダウンが始まる。
選手は自分自身の裁量でカウントダウン内にスタートして良く、この時間内にスタートしなかった場合、そのランは失格となる。

②フリースタイル
90秒の中で技を表現し、3名の審査員が、E(実施)C(構成)D(難易度)の3項目を、10点満点で採点します。
選手が90秒以上パフォーマンスをした場合は超過時間内でのパフォーマンスは一切考慮されず、さらに総合スコアから3点減点される。

パルクールの国際的な大会について

「Parkour Would cup」「FISE WORLD SERIES」や、REDBULL主催の「redbull art of motion」などがあります。また、全米大会やアジア大会などもあります。

世界から見た日本女子パルクール&日本男子パルクールの強さのレベル

世界で活躍する日本人の選手としては、以下のような選手達があげられます。

女子
・泉ひかり Parkour Would cup2019 Speed Annual 優勝。
・山本華歩 Asian Parkour Championship SPEED RUN & FREESTYLE 優勝

男子
・ZEN(島田善)2015年、全米大会でアジア人初の優勝。
・朝倉聖 2019年「パルクール世界大会」において日本人初優勝。
・木本登史 パルクール世界大会7位
・朝山大雅 2018年、アメリカのパルクール大会で優勝。

まとめ

パルクールの起源は80年以上も前のフランス軍隊からですが、パフォーマンスや競技として普及されてきたのは2000年を超えてからと、まだまだ歴史の浅い種目です。

日本では日本体操協会が「パルクールは体操競技の一部」と定義づけをしているようですが、日本パルクール協会は「パルクールは体操競技ではなく、独立した種目である」との声明も出しています。

このようにまだまだその位置付けも明確でなく、日本での普及・周知という観点からはその辺りの環境整備が必要なようにも感じます。

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くぼっち

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見方と考え方が変われば違う景色が見える。違う自分になれる。現実の殻を破るのだ

20年以上サッカーのプロコーチをしてきましたが、サッカーよりも好きなものがたくさんありすぎて、その影響か、サッカーを別の角度から見たり、疑ったり、これまでの見方を変えてみるという悪癖があります。でもそうすると、これまでとは全く違う景色が見えたり、新たな興味も湧いてくるんですよね。理想が現実を塗り替えていく、そんな世の中にしたいです。

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