2023年9月23日から10月8日まで中国の杭州で開催となるアジア大会(アジア競技大会)。
今回はコロナ禍で1年遅れの開催になりましたが、そもそもアジア大会とは何年ごとに開催されるものなのでしょうか。
今回は、アジア大会の開催間隔について調査。
その誕生前からの歴史や背景、開催にまつわる裏話についても詳しく解説します。
アジア大会の初期の歴史
アジア版オリンピックとも呼ばれるアジア大会が始まったのは1951年。
まずはその歴史から振り返ります。
第1回大会開催まで
アジア大会の元となったのは、1913年から1934年まで行われていた極東選手権競技大会だと言われています。
これは日本、フィリピン、中国の3カ国が参加して行われていた大会。
また1934年にインドのニューデリーで開催された西アジア競技大会もルーツの一つとされています。
その後、戦時中はアジアでの国際競技大会は途絶えていました。
アジア大会の直接のきっかけとなったのは第二次世界大戦の終結後、1947年にロンドンで行われたアジア13カ国の会合。そして戦後初のオリンピックである1948年のロンドンオリンピックです。
1947年の会合で話し合われていたアジアの総合競技会の開催について、ロンドンオリンピックにアジアから参加していたインド、フィリピン、朝鮮、中華民国、セイロン、ビルマの6ヵ国が協議。
アジアの総合競技大会をインドのニューデリーで開催することを決めたのです。
この会合で中心的役割を果たしたのが、国際オリンピック委員会(IOC)委員だったインドのソンディ氏。
彼は「アジア大会の父」と呼ばれています。
そして1949年2月にはアジア競技連盟(AGF)がスタート。設立時にはインド、アフガニスタン、ビルマ、パキスタン、フィリピンの5カ国が加盟しました。
第1回大会
ニューデリーでの第1回アジア大会は1950年に開催すると決まりました。
ところが戦後の物資不足もあり、ヨーロッパに発注した競技用具が開催期日までに到着しないことが判明。
第1回大会は予定より約半年遅れとなる1951年3月に開催されました。
戦犯国としてロンドン五輪に招待されなかった日本はアジア大会には参加。
57種目中24種目で金メダルを獲得し、参加11ヵ国の中で最高の成績を収めました。
第3回大会
1958年に開催された第3回大会の開催地は東京となりました。
1964年のオリンピック招致を狙っていた日本は、アジア大会開幕に合わせてIOC総会を開催。東京に集まったIOC委員にアジア大会の開会式や競技を観戦してもらいました。
その結果1959年のIOC総会では、日本の運営手腕に感心したIOC委員の多くが東京に投票。晴れて東京がオリンピック開催地に選ばれたのです。
分裂の危機
順調かと思われたアジア大会ですが、分裂の危機を迎えたこともあります。
きっかけは1962年にインドネシアのジャカルタで開催された第4回大会。
この大会では開催国のインドネシアが、政治と宗教上の理由からAGF加盟国であるチャイニーズ・タイペイとイスラエルに招待状を送らなかったのです。
それに対して国際陸上競技連盟(IAAF)や国際ウエイトリフティング連盟(IWF)が「大会を認めない」と発言。ついには国際オリンピック委員会(IOC)がインドネシアオリンピック委員会に対してIOC加盟取り消しの制裁を加えました。
これに激怒したのがインドネシアのスカルノ大統領。
「それならオリンピックやアジア大会は必要ない」とばかりに、当時チャイニーズ・タイペイ問題でIOCを脱退していた中国などの協力を得て、1966年に「新興国スポーツ大会」(GANEFO)を開催しました。
1963年にジャカルタで開催されたこの大会には、世界51カ国から2700人が参加。アジアからは中国、ビルマ、カンボジア、北朝鮮、モンゴル、タイ、北ベトナム、アラブ連合共和国などが参加しました。そのいくつかは国を挙げてではなく社会主義国家に親近感を抱く大学等が国を代表して参加したもの。日本でもGANEFO国内委員会が設立され、選手が大会に参加しています。
この大会によってアジアのスポーツ界は分裂の危機に。
ところがその後、スカルノ大統領は失脚し、中国では文化大革命が起こったため、GANEFOは自然消滅してしまいました。
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アジア大会の開催間隔
ではアジア大会の開催間隔は何年なのでしょうか。
答えは、4年に1度です。
基本的に夏季オリンピックの中間である偶数年に開催するという決まり。
そのため実際には1年遅れとなりましたが第1回大会は1950年と決まったのです。
その後のアジア大会は毎回、夏季オリンピックの中間の年に開催。
今回はコロナ禍で1年延期となりましたが、次回以降は2026年、2030年、2034年と通常通りに戻る予定となっています。
第18回大会
例外的な大会となるはずだったのが第18回大会。
2012年のアジアオリンピック評議会(OCA)総会では、初開催となるベトナムのハノイで通常より1年遅れの2019年の開催を目指すことが決定しました。
ベトナム政府はアジア大会のための開催費用を1億5千万ドル(約153億円)と概算。ところが2006年のドーハ(カタール)大会では28億ドル、2010年の広州(中国)大会では200億ドルもかかっていたことから「見積もりが甘いのではないか」という懸念の声が噴出します。
やがて国民アンケートでも反対という声が圧倒的に。ベトナム政府は開催地を辞退してしまったのです。
これを受けてOCAは代替開催地の選考をスタート。インドネシア、中国、アラブ首長国が候補に上がりました。
最終的は総会でインドネシアのジャカルタとパレンバンがアジア競技大会の開催地に決定。
その際、2019年開催の予定を2018年に早めることが急遽決まりました。
理由はインドネシアで2019年に大統領選挙があるため。
このような経緯があって変則的な2019年開催は消滅し、通常通りに夏季オリンピックの中間年の開催が実現したのです。
まとめ
4年に1度の開催で、夏季オリンピックの中間年に行われるアジア大会。
しかしさまざまな事情で開催年が変更されることもあります。
最も可能性が高いのは、経済的な理由によって開催地が辞退した場合。
第6回大会、第8回大会でも同じ事態が起こっています。
選手にとっては大会の期間が変わるのは大きな問題。
アスリートファーストの観点からも、4年に1度の間隔はなるべく維持してもらいたいものです。
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