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【麻雀】歴史(起源~現在)を解説!日本に普及した年代も調査!

近年は脳トレに有効な健康的ゲームとしても人気の麻雀。
その用語や見た目からなんとなく中国風のイメージがありますが、実際にはどのような歴史を持っているゲームなのでしょうか。
今回は、麻雀の起源から現在まで、その歴史をご紹介。
どのようにして日本に普及してきたのかも解説します。

【麻雀】歴史 起源

麻雀の起源には諸説あります。
その中でも有力なのが、中国で古くから遊ばれていた馬弔(マーチャオ)と骨牌(クーパイ)です。

馬弔と骨牌

馬弔は、明の時代から中国で遊ばれていたゲーム
40枚1セットの紙に描かれたカードゲームで、それぞれのカードに強弱があり、トランプにも近いゲームでした。
そして骨牌は、象牙や牛骨、竹などで作った牌で遊ぶゲーム
32枚1セットで、2枚ずつの牌や1枚ずつの牌で構成されていました。

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麻雀の誕生

紙のカードを使っていた馬弔をベースに、骨牌の道具を組み合わせ、ルールを整理して誕生したのが麻雀
麻雀の数字の牌のうち、萬子はお金の単位、筒子は穴あき銭、索子はその穴あき銭に紐を通して束にしたものを模しています。
ちなみに当時の中国では馬将麻将と表記。
日本では麻雀と呼びますがこれは日本独自のもので、現在の中国では昔のままの麻将と呼んでいます。

【麻雀】歴史 世界への普及

中国で生まれた麻雀は、すぐに日本でも流行したわけではありませんでした。
実はその前に欧米で大流行したのです。

アメリカ

欧米に麻雀を紹介したのは、東アジアの遊戯を研究していた人類学者スチュアート・キューリン氏。1893年の論文で麻雀を取り上げています。
しかしブームとなったのはそれから26年後。1919年に初めてアメリカで麻雀牌が販売され、大人気となったのです。
火付け役は貿易商人のジョセフ・パーク・バブコック氏
アメリカ麻雀の父」とも呼ばれる彼は仕事で上海に赴任していたときに麻雀の面白さに魅了され、欧米諸国に普及させようと決心しました。
そこで漢字の読めない欧米人のために算用数字英語のイニシャルを入れた麻雀牌を製造。これがアメリカで爆発的にヒットしたのです。
ちなみにアメリカの麻雀は日本や中国のものとはルールが大きく異なります。
花牌ジョーカー牌など独自の牌があって、牌の数は日本の136に対してなんと166
役も非常に多く、しかもナショナル麻雀連盟によって毎年改訂されています。

ヨーロッパ

アメリカでのブームと同じ頃、麻雀は東インド会社のインド・ヨーロッパ航路でイギリスにも伝わりました
麻雀はすぐに上流階級の社交ゲームとして流行。1920年代には早くもヨーロッパ全域に広がりました
1926に出版されたアガサ・クリスティーの「アクロイド殺人事件」にも麻雀で遊ぶシーンが登場しています。

【麻雀】歴史 日本での普及

では日本に麻雀が伝わったのはいつのことでしょうか。
伝わったという意味では、1909年(明治42年)になります。
四川省で英語教師をしていた名川彦作という人物が麻雀牌を持ち帰ったのが最初。同じ年に夏目漱石も「満韓ところどころ」という紀行文で麻雀らしきゲームを紹介し、「実は一向解らなかった」と書いています。
しかしこの頃には一部の文人や上流階級の人々が楽しんだ程度で、普及はしませんでした。

大正時代の普及

日本で一般家庭にまで麻雀が広まったのは、大正時代に入ってから。
その少し前に神楽坂のカフェ「プランタン」で、貿易商人が画家や俳優、文人たちにルールを教え、彼らが各地で指導を始めたのがきっかけです。
さらに「麻雀の遊び方」という書籍も発行されたことで麻雀が広く認知されるようになりました。
また小説に麻雀シーンが登場、文芸誌の記事で特集するなど、文人から情報が発信されたこともあって、1924年(大正13年)頃から麻雀は徐々に普及していったのです。

第1次ブーム

日本の第一次麻雀ブームは1927年(昭和2年)
銀座に貸卓雀荘「南山荘」がオープンして大人気となったのをきっかけに、次々と雀荘が開業しました。1929年(昭和4年)には雀荘は東京だけで1521軒、その翌年には1712軒にもなったと伝えられています。
ブームと同時に多くの麻雀団体も誕生。しかしその結果、各団体でバラバラのルールが生まれました。
そこで1929年、丸の内のグリル「レインボウ」に各団体の代表が集合。ルール統一会議が開かれました
ここで麻雀ルールの基本が決定。日本麻雀史に残るこの重要な会議は「レインボウ会議」と呼ばれています。

第2次ブーム

昭和初期の麻雀ブームは、皮肉なことに雀荘が増えすぎて取り締まりの対象になったことで終わってしまいます。
第2次ブームが起こったのは1969年(昭和44年)
阿佐田哲也の「麻雀放浪記」がヒットし、再び麻雀ブームが始まります。
さらにプロ団体の設立、タイトル戦の開催、麻雀専門雑誌「近代麻雀」の刊行もあって、ブームが加速しました。
日本独自のルールが生まれたのも実はこの頃。中国式麻雀のルールを日本独自のものに修正し、フリテンアガリの禁止放銃の責任払い、そしてリーチという大きな変更が加わりました。
これによって麻雀のゲーム性は大きく変化
フリテンアガリの禁止で河の整理が行われるようになり、放銃の責任払いによって危険牌の読みやオリなどの戦術が生まれました。そしてリーチの誕生で戦略性が大きく広がったのです。

まとめ

中国で生まれ、欧米、日本で独自の進化を遂げている麻雀。
近年はネット麻雀の普及で第3次ブームが来るかもしれないと期待されています。
そのときには再び大きなルールの変更もあるのでしょうか。
麻雀の進化からも目が離せません。

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おおぱ!

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寝ても覚めてもスポーツ漬け

スポーツ一家に育ち、休日はテニスとランニング。空き時間はほぼスポーツ観戦。夢の中ではなぜかやたらといろいろなスポーツのプロ選手になっている夢中派執筆家です。皆さまにスポーツ愛を届けます!

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