長い歴史と伝統を誇り、広く国民に愛されているスポーツが野球です。野球は戦前戦後を通じ、圧倒的な国民的人気を誇ってきました。
現在ではサッカーやラグビーなど、多岐にわたるスポーツが愛好されていますが、東京2020オリンピックで野球が悲願の金メダルを獲得し、久しぶりに日本中が歓喜に沸いたのは記憶に新しいところです。
そして、プロ野球選手がまとう背番号には、数多くの歴史と魅惑に彩られています。
この記事では、その中でも特に背番号「1」から「10」について、最高に輝く歴史上の名選手たち、その中でも特筆すべき1人ずつを取り上げます。
背番号の歴史と意味
背番号はいつから導入されたのでしょうか?
やはり野球の母国、アメリカです。1929年に名門ニューヨーク・ヤンキースが背番号を導入したのがきっかけで、その後、各チームで背番号をつけてプレーするようになりました。
当時は、打者が打順をそのまま背番号に用い、控えキャッチャーが9番、ピッチャーは11番から21番をつけてプレーするのが一般的でした。
日本で背番号が導入されたのは、1931年の日米野球が始まりです。当時は、時代背景などから漢数字表記で、順番も名前の「いろは順」や、契約を結んだ順など、様々な内容の背番号が存在しました。
1947年には、読売巨人軍が腸チフスで死去した黒沢俊夫氏の『4』、1944年に戦死した沢村栄治氏の背番号『14』を、それぞれ日本球界初の永久欠番に制定し、その後背番号は現在のような体系に整理されていきました。
最高に輝く背番号
現在でも圧倒的な人気を誇るプロ野球ですが、選手が背負う背番号には数多くの歴史や伝統、エピソードがあります。
それぞれについてみていきましょう。
背番号1
大打者・スーパースターの華やかな系譜:背番号1
背番号1といえば、まず誰でも思い浮かぶのが、読売巨人軍のみならず日本プロ野球界の至宝であり、国民栄誉賞受賞のスーパースター、王貞治です。
868本の本塁打(世界記録)、二度の三冠王、13年連続を含む通算15度の本塁打王、巨人V9の立役者・・・。語る言葉には限りがありません。王を中国語で読めば「ワン」、そこから「ワンちゃん=1チャン」というご愛嬌まで。
その他の歴代名選手:中日・高木守道、阪急・ブレイザー、広島・大下剛史、大洋・山下大輔、ヤクルト・若松勉、近鉄・鈴木啓二など
まだまだ枚挙に暇がありませんが、「いの一番」にふさわしい豪華ラインアップといえるでしょう。背番号1は「正当なスター番号」と位置づけます。
中でも最高の1人を挙げれば、何と言っても王貞治で議論の余地はありません。
背番号2
渋い!いぶし銀が集う:背番号2
背番号2は、歴代の面々をみてもまさに「いぶし銀」の名人が揃う、渋い番号です。東京六大学から巨人に進んだ花形スター遊撃手・広岡達朗がその代表格です。
歴代名選手:阪神・本屋敷錦吾、中日・一枝修平、ロッテ・山崎裕之、ヤクルト・飯田哲也など。
キーストーンを務める名人が多く、背番号2はまさに「名人・いぶし銀」の番号といえるでしょう。一人を挙げれば、大型遊撃手としてファンを魅了した広岡達朗となります。
背番号3
球界を代表する偉大な番号の象徴:背番号3
背番号1の代表が王貞治であれば、背番号3の代表といえばもちろん、あのON砲を構成し、ミスタープロ野球の称号をほしいままにした読売巨人軍・長嶋茂雄に尽きます。
数々の活躍や記録、また記憶は、昭和最大のスーパースターにふさわしい輝きを放ち、失われることはありません。
歴代名選手:中日・中利夫、立浪和義、阪急・長池徳二、石嶺和彦、ホークス・佐々木誠、松中信彦、オリオンズ・榎本喜八、ライオンズ・土井正博、清原和博など。
背番号3は、まさに球界を代表する「スター番号」で間違いないでしょう。ナンバー1は、これも王貞治と並ぶ「ON」長嶋茂雄で文句なしです。
背番号4
苦難の歴史と、外国人選手が輝く:背番号4
背番号4は、冒頭述べたとおり巨人軍で活躍し、夭逝した黒沢俊夫選手を追悼する意味で最初の永久欠番となった番号です。
歴代名選手:阪神・バッキー、オリックス・バルボン、マルカーノ、ヤクルト・マニエル、バレンティン、広島・正田耕三など。
背番号4は、苦難の歴史を伴う番号ですが、外国人選手の活躍も目立ちます。こちらから1人挙げれば、大きな歴史的意義を背負った黒沢俊夫でしょう。
背番号5
評価が難しい?多彩な才能:背番号5
アマチュア野球で背番号5といえばサード、主力選手が背負う番号ですが、なぜかプロ野球では背番号1や3とは異なる、評価の難しい番号といえます。歴代の選手を眺めても「これぞ背番号5」といえる代表格が見当たりません。
歴代の名選手:中日・西沢道夫、南海・鶴岡一人(現役時代)、巨人・黒江透修、阪神・新庄剛志、ベイスターズ・石井琢朗など。一時期、巨人の清原和博が背負いました。
1人を選ぶとすれば、総合的な成績と存在感から清原和博を選定します。
背番号6
ズバリ!名ショートの系譜:背番号6
背番号6はアマチュアでもショート、つまり、チームで一番野球が上手い選手がつける番号ですが、プロ野球でもまさに同様の傾向がみられます。
プロ野球の歴代ショートは、魅惑と華麗さがぎっしりと詰まった名選手をあまりにも多く輩出していますが、その中でも背番号6の輝きたるや別格で、おそらく歴代最高ショートとして名を刻むであろう巨人の現役・坂本勇人がいます。
歴代名選手:巨人・土井正三、篠塚利夫、川相昌弘、阪神・藤田平、和田豊、金本知憲、ヤクルト・宮本慎也、中日・落合博満、井端弘和、オリックス・大橋穣、熊野輝光、田口壮、日本ハム・田中幸雄、オリオンズ・佐々木信也、西武・田辺徳雄など。
キラ星輝く6番を代表するのは坂本勇人です。
背番号7
「韋駄天」と名手の代表:背番号7
背番号7といえば、まさに「韋駄天」の称号がぴったりの番号です。また、名人芸を誇った名手も多く輩出しています。何と言っても、「世界の盗塁王」阪急の福本豊が代表選手で、通算1065盗塁は金田投手の400勝、王選手の868本と並ぶ不滅の大記録です。
歴代名選手:巨人・与那嶺要、柴田勲、阪神・金田正泰、並木輝男、阪神・真弓明信、今岡誠、ダイエー・井口忠仁、大洋・長崎慶一、西武・石毛宏典、広島・野村謙二郎など。
背番号7は「韋駄天・名手」の代表格といえるでしょう。こちらも、福本豊で異論ないところです。
背番号8
球団の顔「ミスター」の象徴:背番号8
プロ野球各球団には「ミスター」の尊称を授かる偉大な選手がいますが、背番号8はその代表格です。
「赤ヘル旋風」を巻き起こし、弱小球団だった広島カープを優勝に導いたのがミスターカープ、山本浩二でした。大卒で2000本・400本塁打の偉業も達成しています。
歴代名選手:ロッテ・有藤道世、巨人・原辰徳、高田繁、阪神・山内一弘、中日・江藤慎一、阪急・松永浩美、大洋・桑田武、ヤクルト・大杉勝男など。
「球団の顔・ミスター」の番号でしょう。ここでは山本浩二の存在感が光ります。
背番号9
苦労人の勲章:背番号9
1ケタ台背番号の最後は9ですが他の番号と異なり、いわゆる大選手は見当たりません。むしろ苦労して成功を勝ち取った、苦労人の勲章ともいえる番号です。
歴代名選手:阪神・松木謙治郎、安藤統夫、佐野仙好、マートン、中日・谷木恭平、中尾孝義、井上一樹、阪急・森本潔、本西厚博、ソフトバンク・柏原純一、ライオンズ・若菜嘉晴、広島・緒方孝市など。
「苦労人の勲章」こそが背番号9のモットーです。選定が難しい番号ですが、レジェンドの松木謙治郎を挙げておきます。
背番号10
チームの「軸」:背番号10
背番号10は、かつて「主将」を意味したことから、チームの「軸・顔」といえる番号です。東映~巨人で7度の首位打者と歴代最多安打を誇る張本勲が代表格です。
歴代名選手:阪神:藤村富美男(永久欠番)、巨人・阿部慎之助、阪急・加藤秀司など。
背番号10はチームの軸を代表する番号です。総合的にみて、張本勲が代表としてふさわしいでしょう。
まとめ
キラ星のごとく輝く、また錚々(そうそう)たるメンバーが歴史を飾る、プロ野球の背番号1~10を背負ったナンバーワン選手を取り上げました。
この後にも、投手の番号と言われる10番代から51番のイチロー、55番の「ゴジラ」松井まで、魅惑のスターと背番号が続きます。
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