どこよりも熱くお届けするスポーツコンテンツ

NEW POST

スポスルマガジンの最新記事

スポーツを探求する

【スキー】歴史(起源~現在)を解説!日本での始まりは1911年

冬のメジャースポーツとして、また一般市民のレジャーとしても広く普及しているスキーですが、スキーには古い昔からの歴史があります。

この記事では、スキーの歴史について、その起源から現在までの経緯を踏まえ、日本での始まりと普及も含めて詳しく解説します。

スキーの歴史

人類とスキーとの出逢いは、紀元前にまで遡(さかのぼ)ります。古い昔の時代に人間が雪の上を歩くために生み出した知恵と道具が、現在のスキーにつながっています。

スキーの歴史について、4つのフェーズにわけて解説します。

フェーズ1(紀元前1万年~紀元前2500年頃):スキーの起源と原始的利用

最も古いスキーは、紀元前1万年から紀元前2500年頃にかけて、人間が雪上での移動や狩猟を行うために使っていた、木の板や「かんじき」の形をした道具だったようです。

古い遺跡や壁画から、紀元前1万年頃の北欧や紀元前8、000年頃の中国、また紀元前2,500年頃のロシアなどで、この道具が使われたことが確認されています。

当時は、現在のようにスキー板に2本のストックを持って滑るのではなく、板切れを足に固定して、歩行しながら狩猟したり、また雪上を歩行したりしたと考えられています。

【関連記事はこちら】⇩
【スキー】上手くなるためのコツ3選!初心者はポイントを押さえよう
国内にあるスキー場4選!!おすすめの屋内施設をご紹介!

フェーズ2(紀元前2500年~1800年頃):スキーの実用化と競技の誕生

この時代になると、スキーは徐々に冬の本格的な移動手段として実用化されていきます。また、スキーが軍事目的で利用され、1600年代の北欧・ノルウェーでは実際に軍隊にスキーの訓練があったようです。

同時期、ノルウェーでは囚人に対して山の上からスキーで下らせる刑罰を課しており、これが現代のスキージャンプの起源になったという説もあります。

そして、1769年にはノルウェーで最初のスキー競技会が開催され、この大会がスポーツとしてのスキー誕生の瞬間とされています。

フェーズ3(1800年代):技術革新と近代スキーの幕開け

この時代になると、スキー板が大きな発展と改善を遂げます。側面をターンしやすいように曲げたり、足と板を固定するビンディングが考案されたりと、現代にも通じる、滑走するのに適した基本的なスキー技術が開発されました。

1825年には、現在のノルウェー・テレマルク地方で、近代スキーの父ともいわれるソンドレ・ノルハイム氏により、スキー板の先から末端までの側面を曲げてサイドカーブをつける改良がなされ、ターンが容易となりました。

1860年代になると、前述のとおりビンディングが考案されるなど、滑走性能を高めたスキーが発展しました。

こうした技術に基づくスキーを近代スキーと呼び、1800年代(19世紀)は近代スキーの幕開けと位置づけられます。

フェーズ4(1900年~現在):スキー競技の発展と種目の多様化

1900年代に入ると、スポーツとしてのスキー技術が大きく発展します。1900年代前半は、速いスピードで滑走するため、パラレルやバインシュピールといった滑り方の技術が開発されました。

また、1960年代のアメリカでは、モーグルやエアリアルなどのフリースタイルスキーが流行します。そして、1990年代にはスノーボードも普及し、ハーフパイプや大回転などのスノーボード競技が1996年の世界選手権から実施されています。

一方、スキー用具をみると、それまで1本のストックで滑走していたものが、1900年代前半からは2本のストックで滑走するスタイルが広まっていきました。

現在ではスキーは2本のストックで滑るのが常識ですが、後述するように1911年にレルヒが日本へはじめてスキーを伝えた際も、1本のストックで滑走するスタイルでした。

また、スキー板は、丈が短いタイプのカービングスキーが普及をみせました。スキー板が短くて中央部が細いため、それまでよりも滑った際のカーブの半径が小さくて済むため、ターンがしやすく、人気を博したのです。

日本におけるスキーの歴史

世界におけるスキーの歴史を4つのフェーズに分けてみてきましたが、日本でのスキーの歴史も同様に4フェーズで解説します。

フェーズ1(1902年):八甲田雪中行軍遭難事故の悲劇

映画にもなった小説の素材としても有名な、1902年(明治35年)に起きた青森県・八甲田山での陸軍雪中行軍中の遭難事故の悲劇が、実は日本におけるスキー発展の歴史に大きな影響を与えたともみられています。

この時はまだ日本にスキーが伝わる前で、軍隊はかんじきや革靴という装備で、訓練に必要な食料や資材はソリに乗せて行軍していました。

スキーがあれば、局面は全く異なっていたことでしょう。

フェーズ2(1911年):日本に初めてスキーを伝えたレルヒ

八甲田雪中行軍遭難事故のあと、1909年(明治42年)にノルウェー国王(ホーコン7世)がスキー板2台を事故のお見舞いとして明治天皇宛に進呈しました。しかし、日本でのスキーの起源はもう少し先となります。

事故から8年後の1910年に、オーストリア人のテオドール・エードラー・フォン・レルヒが来日しますが、この レルヒこそが日本に本格的なスキーを持ち込んだ人物です。

レルヒは、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人で、日本のオーストリア大使館で武官として駐在しますが、彼は元々アルペンスキーの創始者・マティアス・ツダルスキーの弟子でもありました。

日本の陸軍は、八甲田雪中行軍遭難事故の苦い経験からレルヒのスキー技術に注目し、来日翌年の1911年(明治44年)にレルヒは、新潟県の高田で陸軍へスキーの技術を教えることとなります。

日本軍は、連隊長の堀内文次郎が将校11名を選抜し、レルヒにスキー指導を受けさせます。これが日本におけるスキーの始まりとして知られ、その後スキーが民間にも広がっていくきっかけとなりました。

フェーズ3(1912年~1945年):スキーの普及とオリンピック参加

レルヒが日本軍にスキーを教えて以来、徐々に日本国内でスキーが普及しはじめます。そして、1923年(大正12年)には第1回全日本スキー選手権大会が北海道の小樽で開催されました。

その際の種目は、距離、テレマークスラローム、クリスチャニアスラロームと純ジャンプでした。

1925年(大正14年)には全日本スキー連盟(SAJ)が誕生し、更にその翌年には国際スキー連盟(FIS)へ加盟するなど、スキーを取り巻く環境整備が進みました。

その後、1928年(昭和3年)に日本は初めて冬季オリンピック(第2回・サン・モリッツ)大会に参加し、5名の選手団を送り出しました。

そして1930年(昭和5年)には、オーストリアのスキー講師であるハンネス・シュナイダーが来日し、野沢温泉をはじめとする全国各地のスキー場での指導を行いました。

フェーズ4(1946年~現在):スキー技術の進展とオリンピックでの活躍

第二次大戦後は、スキー技術の進歩が更に進み、冬季オリンピックへの参加が続きます。

1956年のコルチナ・ダンペッツオ大会では、アルペンスキー競技で猪谷千春選手が銀メダルを獲得し、日本人スキー競技で初のメダリスト誕生という快挙を達成しました。

その後は、1972年に地元で開催された札幌オリンピックで日本人がジャンプの70メートル級で表彰台を独占。笠谷幸生選手が金メダル、金野昭次選手が銀メダル、そして青地清二選手が銅メダルを獲得し、日本中がこの表彰台独占に熱狂しました。

1998年の長野オリンピックでは、女子フリースタイルスキー・モーグルで里谷多英選手が金メダルを獲得し、新しい競技にも注目が集まりました。

その後も日本選手の活躍は続き、モーグルで5大会連続出場の上村愛子選手や、ノルディック複合の絶対王者・荻原健司選手、ジャンプでは船木和喜選手や原田雅彦選手といった金銀メダリスト、そして最近では女子の高梨沙羅選手や男子の小林陵侑選手が世界のトップとして活躍しています。

まとめ

スキーの起源と歴史、そして現在に至るまでの発展の経緯と、日本におけるスキーの始まりから現在までの歴史について詳しく解説しました。

最近では多くの日本選手が冬季オリンピックなどで大活躍し、ファンに勇気と歓喜を与えています。

今後もスキーの発展と日本選手の活躍を期待したいものです。

【関連記事はこちら】⇩
【スキー】上手くなるためのコツ3選!初心者はポイントを押さえよう
国内にあるスキー場4選!!おすすめの屋内施設をご紹介!



  • この記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
ミッシー

ミッシー

スポーツ全般を観るのもするのも大好きなスポーツファン

オールド野球ファンがドメインですが、他にもラグビー・サッカーなど、どんなスポーツでも大好きです。本格的なスポーツ経験は剣道で、趣味のスポーツとしては野球・水泳・ジョギングなどを愛好しています。

  1. 【野球】バッテリーとは?意味や由来についてご紹介!

  2. 【甲子園】歴代ホームラン数一覧|最高の本塁打もご紹介!

  3. 【甲子園】歴代奪三振記録一覧|1試合のみの記録も調査!

PAGE TOP