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【高校野球】名監督「ベスト5」をご紹介!名場面も振り返ろう

今年もまた高校野球・夏の甲子園大会が近づいてきました。

高校球児の爽(さわ)やかな活躍に胸躍らせるファンも多いことでしょう。

多くの名試合とともに、それを演出する名監督もまた、高校野球に欠かせない存在です。

今回は、名監督「ベスト5」を、勝利数を基準に、また少しトピックスも交えて考察していきます。

(注)記録はいずれも2022年7月末現在

高校野球・甲子園通算勝利数からみた名監督列伝

高校野球の名監督は数多く存在し、戦績や人柄、また指導方法や育てた選手の数や実績など、様々な評価指標があります。

このため、一概に名監督としての順位をつけるのは困難ですが、わかりやすい「物差し」として、春夏の甲子園での勝利数を基準に評価してみたいと思います。

高校野球名監督①高嶋仁監督(智弁学園・智弁和歌山)

1946年5月30日生(76歳)

甲子園成績(以下同)

通算勝利数:68

優勝:春1回・夏2回

甲子園の通算勝利数ナンバーワンを誇り、通算の優勝回数も3回と、高校野球ファンなら誰でも知っている名将です。

特に智弁和歌山は同学年で10人しか入部できない「少数精鋭エリート軍団」で、数多くのプロ野球選手を輩出しています。

高嶋監督は、成績もさることながら、ベンチ入りしている選手を全員積極的に試合に出場させ、結果を出せるまで成長させる指導力が非常に高く評価されています。

2018年夏の第100回甲子園記念大会を最後に勇退し、後任に道を譲りました。

高校野球名監督②西谷浩一監督(大阪桐蔭)

1969年9月12日生(53歳)

通算勝利数:61

優勝:春4回・夏4回

現在「大阪桐蔭無双」ともいわれるほど、他校の追随を許さない圧倒的な強さを誇る、大阪桐蔭高校の名将です。

春夏あわせて甲子園で歴代最多の8回の優勝を達成し、2018年には春夏連覇に加えて秋の福井国体でも優勝し、三冠を達成しており、今春のセンバツでも優勝。夏には再度の春夏連覇が期待されます。

数多くのプロ野球選手を輩出し、日本代表の監督も務めている西谷監督は、名将であると同時に、選手からもその人柄を慕われています。

高校野球名監督③中村順司監督(PL学園)

1946年8月5日生(76歳)

通算勝利数:58

優勝:春3回・夏3回

PL学園中村監督といえば、あの「KKコンビ」桑田・清原を擁(よう)して甲子園を席捲(せっけん)した名監督としてあまりにも有名です。

監督に就任した翌年に甲子園春夏連覇を果たし、PL学園の名前を全国区へと高めました。甲子園20連勝の大記録も持ち、毎年安定して強いチームを作る能力が大きく評価されています。

自身は遊撃手出身で、常に冷静沈着な態度が好感を持たれました。1998年の春センバツ大会準決勝・横浜高校戦を最後に勇退しています。

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高校野球名監督④馬淵史郎監督(明徳義塾)

1955年11月28日生(66歳)

通算勝利数:54

優勝:夏1回

明徳義塾は高知県の新興強豪校で、以前は高知商業や高知高校という地元の伝統校が強さを誇っていた中に割って入り、全国でも上位の常連へと導いた名将です。

あまりにも有名な、星陵高校松井秀喜選手に対する全5打席敬遠という衝撃的な采配が議論を呼びましたが、信念を貫いて上位を目指す姿勢が特徴的です。

優勝こそ夏の1回だけですが、甲子園大会では20大会連続初戦負けなしという大記録を持ち、強豪のイメージを定着させました。

高校野球名監督⑤(同順位)渡辺元智監督(横浜)

1944年11月3日生(78歳)

通算勝利数:51

優勝:春3回・夏2回

強豪・横浜高校の監督を47年間の長きにわたって務め、屈指の強豪校がひしめく神奈川県でも代表的な名将として有名です。同級生でもある小倉清一郎部長との名コンビで、数々の勝利と名勝負を演出しました。なんといっても「平成の怪物」松坂大輔投手を擁して春夏連覇を果たした実績は特筆されます。

心労や持病などと闘いながら長年監督を務めましたが、2015年の夏(県予選決勝で東海大相模に敗退)を最後に勇退。その後はTVでの解説などで親しまれています。

高校野球名監督⑤(同順位)前田三夫監督(帝京)

1949年6月6日生(73歳)

通算勝利数:51

優勝:春1回・夏2回

前田監督は、強豪ひしめく東京で1972年に監督就任以降、 長年にわたって指揮をとり、2021年の夏(東東京大会準決勝で二松学舎大附属に敗退)勇退しました。

速球派右投手の育成に定評があり、数多くのプロ野球選手を育てました。また、思いどおりの打球の強さで狙った場所に打てる、ノックの技術が高いことでも有名です。

甲子園通算勝利数で並ぶ横浜の渡辺監督との交友はじめ、幅広い人脈を活かしながら、現在も同校名誉監督として活動しています。

忘れられない名監督

甲子園での通算勝利数を基準に名監督「ベスト5」を述べてきましたが、それ以外にも忘れられない名将・名監督は多数存在します。

なかでも印象的な名監督を取り上げて解説します。

攻めダルマ:蔦文也監督(池田)

1923年8月28日生(故人)

通算勝利数:37(9位)

優勝:春2回・夏1回

あの「金太郎」こと水野投手を擁し、猛烈な打棒で全国制覇を重ねたことから「やまびこ打線」「攻めダルマ」の異名を欲しいままにした名将です。

甲子園戦法といえば、それまで「堅守速攻」「守って勝つ」「投手中心」が常識でしたが、新たに導入された金属バットの特長を最大限に活かし、ともかく打って打ってうちまくる野球で衝撃を与えました。優勝3回に加え、準優勝も2回達成しています。

2001年に肺がんで逝去。蔦監督を師と仰ぐ帝京前田監督や水野投手など、多くの弔問客が訪れました。

常勝茨城の立役者:木内幸男監督(取手二・常総学院)

1931年7月12日生(故人)

通算勝利数:40(7位)

優勝:春1回・夏2回

茨城県内の3校で監督を務め、そのうち取手二高と常総学院をそれぞれ全国制覇へと導いた手腕により、茨城のみならず全国でも有数の名将と呼ばれています。

特に、1984年の夏には石田文樹吉田剛などを擁し、甲子園の決勝であのKKコンビ・桑田真澄、清原和博が引っ張るPL学園を延長10回の末に下して全国制覇を達成、全国ファンの度肝を抜きました。

常総学院に転じても、2003年の夏には「木内マジック」と呼ばれた采配が冴(さ)えわたり、あのダルビッシュ投手を擁する東北高校を下して再び優勝しました。

2020年に、こちらも肺がんにより逝去しています。

レジェンド名将の象徴:尾藤公監督(箕島)

1942年10月23日生(80歳)

通算勝利数:35(11位)

優勝:春3回・夏1回

和歌山県を代表する古豪・箕島ですが、前述の智弁和歌山など、新たな強豪校の出現で最近は活躍の場が少なくなっています。

かつて同校が全国で強豪ぶりを存分に発揮していた頃、チームを率いて活躍したのが尾藤監督でした。

数々の名選手を指導し、中でも1979年には石井毅投手と嶋田宗彦捕手のバッテリーを擁し、甲子園春夏連覇を達成しました。

公立校の春夏連覇は箕島高校の快挙です。また、同年夏の3回戦、星稜高校との延長18回の大熱戦は高校野球史に語り継がれています。

高校野球の名監督が生み出すドラマの数々

甲子園に出場した高校野球チームの歴代名監督についてみてきました。

今回取り上げた名将以外にも、まだまだ数多くの素晴らしい名監督がたくさん存在します。

勝利数や優勝回数だけでなく、一瞬の煌(きらめ)きを鮮烈に放った監督もいますが、また機会があれば取り上げたいと思います。

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ミッシー

ミッシー

スポーツ全般を観るのもするのも大好きなスポーツファン

オールド野球ファンがドメインですが、他にもラグビー・サッカーなど、どんなスポーツでも大好きです。本格的なスポーツ経験は剣道で、趣味のスポーツとしては野球・水泳・ジョギングなどを愛好しています。

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