今ではオリンピックと同様に語られることが多くなったパラリンピック。
表記も「オリンピック/パラリンピック」と書かれることが増えましたが、実は以前はそのような扱いではありませんでした。
このパラリンピックは、どのような経緯で誕生したのでしょうか。
そしてパラリンピックの正式な意味は?
今回は、パラリンピックの意味や歴史をご紹介します。
パラリンピックの意味
まずはパラリンピックという言葉の意味から。
実はこれは歴史的に2種類の捉え方があります。
IPCによる定義
国際パラリンピック委員会(IPC)の公式発表では、パラリンピックという名称は「もうひとつの(Parallel)+オリンピック(Olympic)」という意味。
実際にIPCは国際オリンピック委員会(IOC)と協力関係を結んでいて、オリンピック開催国はオリンピック終了後にパラリンピックを開催。まさに「もうひとつのオリンピック」を実現しています。
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従来の定義
しかしパラリンピックが「もう一つのオリンピック」となったのは実はかなり近年になってからのこと。従来のパラリンピックは違った意味を持っていました。
それは「対麻痺者(パラプレジア・Paraplegia)+オリンピック(Olympic)」という意味。
略してパラリンピックという愛称を初めて採用したのは、実は1964年の東京オリンピックに合わせて開催された大会でした。
パラリンピックが誕生した経緯
現在、「第1回パラリンピック」とされているのは、1960年のローマ大会。
しかし実はこの「第1回」は、かなり後の1989年に認定されたものです。
ではパラリンピックはどのようにして始まったのでしょうか。
パラリンピック以前の組織や大会
パラリンピックに準じた考え方や大会は、かなり昔からありました。
障がいのある人々による運動の記録は紀元前から見られ、その後も治療体操としてスポーツが行われてきた記録が残っています。
19世紀になると障がい当事者が組織を作り自発的にスポーツ活動をスタート。1888年にはドイツで聴覚障がい者のためのスポーツクラブ、1910年にはドイツ聴覚障がい者スポーツ協会が創設されています。
さらに第一次世界大戦後にはイギリスに身体障がい者自転車クラブや英国片上肢ゴルフ協会も登場。
1924年には国際ろう者スポーツ連盟(CISS)がパリで第1回国際ろう者スポーツ競技大会(現デフリンピック)を開催しました。
パラリンピックの前身
パラリンピックにつながる直接のきっかけとなったのは第二次世界大戦。
1944年、イギリス・ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に、戦争で脊髄を損傷した兵士の治療と社会復帰を目的にした脊髄損傷科が開設されました。
その初代科長となったのがルードウィッヒ・グットマン卿。彼は車椅子を使ったポロやバスケットボール、卓球などのスポーツを脊髄損傷患者の治療に導入しました。
そして1948年、ロンドンオリンピックにあわせてストーク・マンデビル病院内で16名の車いす患者によるアーチェリー大会を開催。同時に彼は「将来はこの大会が国際大会となり、障がいを持った選手たちのためのオリンピックになるよう願う」と発言しました。
パラリンピックの原点であるこの大会は毎年開催されるようになり、早くも1952年にはオランダの参加を得て国際競技会へと発展。第1回国際ストーク・マンデビル大会と呼ばれるようになりました。
さらに1960年にはイギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、フランスの5か国によって国際ストーク・マンデビル大会委員会(ISMGC)が設立され、グットマン卿がその初代会長に就任します。
パラリンピックへ
ISMGCは設立当初から「オリンピック開催年に実施する大会は、オリンピック開催国でオリンピック終了後に実施する」と宣言。
その宣言通り、オリンピックが開催されたローマで国際ストーク・マンデビル大会を開催しました。
このような経緯から、ローマ大会は後に「第1回パラリンピック」と呼ばれることに。
ただしこの頃の大会は、対象を車椅子使用者に限定したものでした。
東京での開催
ローマ大会の次のオリンピックが行われたのは、1964年の東京。
それに合わせて国際ストーク・マンデビル大会の準備を進めた日本の代表は、東京大会を車椅子使用者だけではなく全ての身体障がい者が参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」にしようとしました。
結果的に東京オリンピック直後に開催された大会は2部制に。第1部は従来通りの国際ストーク・マンデビル大会、第2部はすべての身体障がい者による国内大会となりましたが、これが現在のようなパラリンピックへの第一歩となったのです。
国際身体障がい者スポーツ大会への発展
日本での開催から12年後の1976年、モントリオールオリンピックに合わせて行われたトロント大会は、国際ストーク・マンデビル競技連盟(ISMGF)と国際身体障がい者スポーツ機構(ISOD)の共催で行われる大会に。視覚障がい者と切断の選手も出場するようになりました。
さらに同じ年にはISODが中心となって切断者による冬季大会をスウェーデンのエンシェルツヴィークで開催。この大会は後に第1回冬季パラリンピックと位置づけられることになりました。
また1986年には国際聴覚障がい者スポーツ協会や国際精神薄弱者スポーツ協会もパラリンピックに加わることに。
このような発展の中で、従来の「パラプレジア・オリンピック」の略称であるパラリンピックはなじまなくなり、パラレル・オリンピックという解釈が正式になりました。
そしてより競技性の高いスポーツ大会を行うため1989年に国際パラリンピック委員会(IPC)が設立されたのです。
まとめ
1988年の「ソウルパラリンピック」からはオリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを連動させ、オリンピックで使用した会場がパラリンピックでも使用されるようになっています。
しかしIOCとIPCの協力関係が本格的に話し合われ、「オリンピック開催国は、オリンピック終了後に引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」と正式に決まったのは、2000年になってから。
時間はかかりましたが、パラリンピックは障がい者スポーツの世界を広げる存在として今も発展し続けているのです。
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