箱根駅伝の特定の区間につけられる呼び名で有名なものといえば、「花の2区」。
一方である区間の選手につけられる称号で最も有名なものは、なんといっても「山の神」ではないでしょうか。
この「山の神」は往路の最後、箱根の山登りとなる5区の名選手を讃える称号です。
では過去には、どのような山の神が存在したのでしょうか?
今回は、箱根駅伝の歴史に残る山の神をご紹介します。
【箱根駅伝】5区の山登りとは
箱根駅伝のコースは、その高低差が大きな特徴。
とはいえ往路全5区のうち1〜4区は比較的なだらかです。
極端な高低差があるのは、箱根の山登りを行う5区。
小田原中継所から芦ノ湖前のゴールまで20.8kmのコースには標高差が854mもあります。
まさに箱根駅伝の最大の難所。
ほとんどが山登りのため、脚力とスタミナが要求され、あまりの標高差のために低体温症に苦しむ選手もいるほどです。
また最後の4kmは一転して下りになるため、山登りの時とは筋肉の使い方が一転。痙攣を起こしてしまう選手もいます。
大逆転劇が何度も起こる5区。
中でも驚異的な記録と鮮烈な記憶を残した名選手だけが、山の神と呼ばれているのです。
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【箱根駅伝】伝説の山の神一覧
箱根駅伝が始まったのは大正9年。
長い歴史の中には数多くの山の神が存在したと思っている方も多いのではないでしょうか。
しかしそれは間違い。
5区の区間記録を取るとなんとなく「今年の山の神」のように言われることもありますが、真に「山の神」と呼ばれた選手は過去にわずか3人しか存在しないのです。
初代山の神 今井正人選手
「山の神」という言葉が初めて登場したのは2005年。
実はかなり近年のことなのです。
そのきっかけとなった初代山の神は順天堂大学の今井正人選手。
1984年福島県南相馬市生まれの今井選手は、小中学生の頃は野球を駅伝の助っ人としても活躍し、高校進学後に本格的に陸上競技を始めると1年生で県高校新人5000mに優勝しています。
そして順天堂大学に進学すると、1年目から有力選手の1人として活躍。
ただし1年のときは2区を走って区間10位になっています。
しかしその翌年の2005年は5区に抜擢。
するといきなり史上最多11人のごぼう抜きを披露します。
このとき今井選手の圧倒的な走りを見た実況アナウンサーが「山の神が降臨しました!」と発言。これが「山の神」という称号誕生の瞬間なのです。
さらに今井選手は翌年の箱根でも5区で5人を抜き、順天堂大学の往路優勝に貢献。
4年目に主将として臨んだ2007年の箱根の5区でも昨年の自己記録を更新してまたも首位を獲得しました。
その結果、順天堂大学はついに総合優勝を達成。
今井選手は、2年から4年まで、5区を走った3大会全てで最優秀選手に与えられる「金栗杯」を受賞しています。
2代目山の神 柏原竜二選手
2代目山の神となった柏原竜二選手は1989年福島県いわき市生まれ。中学時代から陸上を始め、中3では全国中学校選手権に出場しました。
高校卒業後は就職するつもりだったそうですが、東洋大学のスカウトに誘われて進学。するといきなりその力を発揮します。
まだ1年生だった2009年の第85回箱根駅伝で、初代山の神の今井選手が持っていた5区の記録を47秒も上回る区間新で快走。東洋大学の初の総合優勝に貢献しました。
彼の走りを見た実況が「山の神を越える山の神童がここに誕生!」と表現したことから、柏原選手は2代目山の神と呼ばれるように。
そして2年目も5区で出場し、自己記録を10秒更新。6人の選手をごぼう抜きして東洋大学を2年連続の優勝に導きました。
ここで「新・山の神」と呼ばれたことから、改めて日本中が柏原選手を2代目山の神と認めたのです。
その彼も残念ながら3年生となった2011年は不調。それでも3位でタスキを受け取るとゴールではトップになっています。前年の記録よりも45秒遅れてゴールしましたが東洋大学は往路優勝、総合2位でした。
そして翌年、2代目山の神は完全復活。またもや自己記録を更新し、東洋大学の優勝に再び貢献しました。
こうした活躍の結果、彼は不調だった3年生の年を除いて「金栗杯」を3回受賞しています。
3代目山の神 神野大地選手
3代目山の神となった神野大地選手は1993年愛知県津島市生まれです。
中学から陸上を始め、高校3年生で全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に愛知県代表として出場。2012年に青山学院大学に入学しました。
初代と2代目の山の神は4年連続して箱根駅伝に出場していますが、神野選手は1年生のときには箱根駅伝に出場していません。
しかも2年生だった2014年は2区で出場。第5区を受け持ったのは3年生になってからです。
ところがこの2015年の箱根駅伝で神野選手は圧巻の走りを披露。
トップの駒澤大学と46秒差の2位でタスキを受け取ると、先頭に追いつくだけでなくさらに差を広げていきます。芦ノ湖ではなんと4分59秒の大差をつけてゴール。
いきなり3代目山の神、また「山の神野」として注目されることになりました。
しかもコース変更に伴って5区が20m延長されたため「以前の記録は2度と抜けないだろう」と言われていたにもかかわらず、柏原選手の記録を24秒も上回ってしまったのです。
彼の大逆転で青山学院大学は往路優勝。その勢いのまま復路も優勝し、青山大学にとって初の総合優勝となりました。
そして神野選手は大学4年のときには2度の疲労骨折で調整に苦しみながらも再び5区を走り、区間2位の成績で青山学院大学2連覇に貢献。
その力を発揮したのは3年生の1度だけでしたが、神野選手はあまりにも鮮烈だったその走りで3代目山の神と称されています。
まとめ
5区の距離が20.8kmになったのは2017年の第93回から。
それまでは23.2kmだったのですが、あまりにも選手の体への負担が大きすぎることから短縮されたのです。
それ以降も優秀なランナーは何人も登場。
「4代目山の神か」と言われた選手もいましたが、まだその称号を手に入れた人はいません。
4代目山の神はいつ降臨するのか。
そのときどれほどの記録が生まれるのか。
過酷な山登りのドラマに興味は尽きません。
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