世界でも「KENDO」の名で親しまれている剣道。日本発祥の武道であることは有名ですが、その歴史について知っている方は少ないのではないでしょうか。
ここでは剣道の歴史を、その源流から現在までご紹介します。
平安時代〜剣道の源流、日本刀の誕生
剣道の源流は、平安時代中期の日本刀の誕生にあります。それ以前にも日本には大陸から伝わった「直刀」があったのですが、これは「突く」、または重さを生かして「叩き割る」といった使い方をするものでした。
そのような直刀に対して、日本刀は2つの特徴を持っています。それは、わずかに湾曲した「反り」と、薄く丈夫な構造を実現する「鎬(しのぎ)」。
これによって日本刀は西洋の剣にはない「引きながら撫で斬る」という動きを実現しました。この動きがフェンシングなどと剣道の違いに繋がっています。
戦国時代〜剣術の流派の誕生
応仁の乱からの戦国時代になると、日本各地に多くの剣術の流派が誕生しました。やがて鉄砲が大量に作られるようになると、重装備で突撃する戦い方が無意味になり、日本刀を使った戦闘は軽装備で洗練されたものに。
剣術の技も磨かれて、より高度なものとなっていきました。
江戸時代〜剣道に繋がる思想の誕生
江戸時代になり平和な世が訪れると、剣術は人を殺す技術から、人間形成を目指す修練の道へと変化していきます。これは、人を殺傷するための剣が使い方によっては人を生かすものになるという意味で「活人剣」と呼ばれる思想。
柳生宗矩の「兵法家伝書」や宮本武蔵の「五輪の書」などはそうした思想を集大成した書で、これが剣道の直接の源流となっています。
初期の剣道の道具
江戸前期の剣術の稽古は模造刀や木刀を使ったもので、寸止めできないとすぐに大きな怪我に繋がっていました。現在使われている剣道具の元を開発したのは、直心影流の長沼四郎左衛門国郷という人。
正徳年間(1711年〜1716年)に、防具を身につけ、竹刀を使う「打込み稽古法」を確立しました。この頃の竹刀は一本の竹の先を細く裂き、それを皮袋で包んだ袋竹刀というもの。新陰流系の道場では現在もこの袋竹刀が使われています。
続いて宝暦年間(1751年〜1764年)に、一刀流の中西忠蔵子武が鉄面と竹具足の防具を使った打込み稽古法を採用。これが各地に広まりました。
さらに江戸時代後期になると現在のような四つ割り竹刀や、なめし革を貼って漆で固めた胴が登場。千葉周作が竹刀を使った剣術の技を「剣術六十八手」にまとめたことで、現在のような剣道の姿が確立されていきました。
幕末江戸の三大道場
江戸時代末期になると多くの道場が登場。交流試合も行われるようになりました。
その中で幕末に特に有名になったのは、士学館(鏡新明智流)、玄武館(北辰一刀流)、練兵館(神道無念流)。江戸三大道場と呼ばれ隆盛を極めました。
士学館は竹刀の打込み稽古を主に行う正統派です。士学館出身の有名な剣術家は武市半平太や岡田以蔵など。
鏡新明智流はのちに初期の警視庁剣道で主流となり、現在もその形が残されています。
千葉周作が創始者である玄武館は「技の千葉」と呼ばれた道場。合理的に技術を追求する姿勢で、武士以外の町人や商人にも門戸を開きました。
学問に秀でた門下生が多かったのも特徴で、清河八郎、山岡鉄舟などを輩出。坂本龍馬も分道場の桶町千葉で学んでいます。
練兵館は「真を打つ」として渾身の一撃を一本とした道場。
そのため軽い打ち合いは厳禁で、防具も頑丈に作られていました。また練兵館も学問を重視。長州の志士を多く門下生に抱えていました。
伊藤博文、桂小五郎、高杉晋作などがここで学んでいます。
明治・大正〜剣術の衰退と復興
明治になり武士の階級が廃止されると、剣術は下火になりました。一方で失職した武家出身者の中には警察に就く者が多く、剣術は警察と結びついたものになっていきます。
明治10年に西南の役が起こると、警視庁を中心に剣術復活の動きが広がり、明治18年には警視庁主催の「第1回奉納武術大会」が開かれました。これが現在も行われている全国規模の剣道大会の始まりです。
続いて明治28年には剣術などの復興を図る「大日本武徳会」が設立されました。大正元年には剣道という言葉を使った「大日本帝国剣道形」が制定されます。
これは数百あると言われた剣術の流派を統合したもので、竹刀打ち剣道による手の内の乱れや刃筋を無視した打突を正す役割も担っていました。
大正8年には名称も、これまでの剣術や撃剣という呼び方から「剣道」に統一されています。
昭和〜禁止から再びの復興
第二次世界大戦後、連合国が剣道の組織的な活動を禁止。大日本武徳会は解散となりました。
昭和25年からの数年間、剣道はスポーツ的なイメージを全面に出し、洋服を着て竹刀で打ち合う「撓競技(しないきょうぎ)」として細々と存続するのみでした。
昭和27年に日本が独立を回復すると、すぐに全日本剣道連盟が結成され、剣道が復活。精神を鍛えるという目的が教育の一環としても見直され、剣道は体育の必須科目としても取り入れられました。
現在、剣道は数百万人もの愛好家が日々稽古に励む武道となっています。
まとめ
日本で誕生し発展してきた剣道は、世界にも愛好家を増やしています。
昭和45年には国際剣道連盟が結成され、世界剣道選手権大会も開催。現在では50ヵ国以上から選手が集まるほどの大会になっています。
国際剣道連盟は国際オリンピック連盟にも加盟。その歴史には紆余曲折があった剣道は、修練の道であると同時に、今ではオリンピック種目への採用を目指す国際的なスポーツにもなっているのです。
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