テレビでオリンピックの競技を一度も見たことがない、という人は少ないことでしょう。夏と冬、あわせて二年に一度開催されるスポーツと平和の祭典は、私達の胸をとても熱くさせてくれます。
今こうしている間にも世界中では多くのスポーツが誕生していると言われていますが、スポーツを作った人達は“最終的にオリンピック種目にすること”を目標にしていることが多いとされています。
そんなオリンピックと並んで開催されるのがパラリンピックですが、オリンピックと同じ種目も多い反面、あまり認知度が高くないスポーツも登録されています。
中には、競技名を聞いただけではどういうスポーツかはまったく想像もつかない、という人もいるでしょう。
しかし、パラリンピック特有の競技には、障害のあるなしに関わらず楽しめるスポーツがとてもたくさんあるのです。今回は、そんな魅力的なパラスポーツの一つ、ゴールボールについて紹介していきます。
ゴールボールとは?
ゴールボールという名前に聞き覚えがない、という人も多いことでしょう。ボールというからには球技なのだろうけれど、どんなスポーツか想像ができないという人も少なくないのではないでしょうか。
このスポーツは、アイシェード(目隠しのようなものです)をつけ、目が見えない状態で行います。そして、鈴の入ったボールを転がすように投げ合うことでゴールを狙い、入った得点を競う競技なのです。
視覚障害者と呼ばれる人は複数存在し、実際にはうっすら見えるという人もいる中、この競技は全員が目隠しで完全に視界を封印するため視力の有無を問わず平等に競技を行うことができるのです。
もちろん、普通に目が見えるという人も同じように楽しむことができるスポーツになっています。
目隠しはアイパッチを貼り、さらにその上からゴーグル型のアイシェードを装着することで行われます。これにより、全員が一切の光が入らない、完全な視界ゼロで公平なプレーを行うことができるのです。
目が見えない状態なので当然、頼りになるのは音だけとなります。ボールに鈴が入っているのはこのためです。
ボールを投げた時の鈴の音を頼りに、双方のチームがボールの行方を把握し、ボールを取りに行ったりゴールに入らないようにディフェンスを行ったりするのです。
音によって相手を攪乱したり、相手の行動の先読みを行ったり、単純な聴力のみならず反射神経と駆け引きが非常に重要になってくるのがこのスポーツの面白いところなのです。
ゴールボールの歴史とは?
では、そんなゴールボールはどのようにして生まれたのでしょうか。元々は、第二次世界大戦で目に傷害を受けた傷痍軍人のリハビリテーションのために考え出されたプログラムの一つだったと言われています。
それが、オーストリアのハインツ・ローレンツェン、ドイツのセット・ラインドルの両氏によって1946年にスポーツとして紹介されたのが、競技としてのゴールボールの始まりだったと言われているのです。
一方、日本にゴールボールがやってきたのはそれよりも随分後になってからのことでした。この競技が日本で初めて紹介されたのは、1982(昭和57)年になってからのことです。
デンマークのスポーツコンサルタントであるクラウス・ボス氏が来日し、東京都立文京盲学校を会場として競技の紹介をされたのが始まりでした。
ただし、この時点では残念ながら全国的な普及には至らなかったと言います。ゴールボールが全国的に周知されるのは、もう少し時を待たなければいけませんでした。
1991(平成3)年。ゴールボールが第5回フェスピック北京大会の公式種目となることが決定したことにより、財団法人日本身体障害者スポーツ協会による国内の実態調査が行われることになりました。
それにより翌年、財団法人日本身体障害者スポーツ協会によってゴールボールというスポーツの本格的な競技規則の翻訳がされることになります。この時初めて、ゴールボール競技の全国的な紹介がされたようです。
そしてこれを機に、 東京都多摩障害者スポーツセンターや京都市障害者スポーツセンターにてゴールボール教室が開催されるようになり、競技の紹介と競技者の育成に本格的に取り組むようになったのです。
ゴールボールのルールについて
ゴールボールは3人1組の2チームで争われる競技です。コートはバレーボールと同じ広さであり、大きく3つのエリアに分けられています。Aチームのチームエリア、中央のニュートラルエリア、Bチームのチームエリアです。
Aチームは投球も守備も自分達のチームエリアで行う必要があり、Bチームもそれは同様です。ただしニュートラルエリアに入ったボールは、センターラインを越えない限りチームの人間が取りに行っていいことになっています。
選手は全員視界を塞がれている状態ですが、コート上のあらゆるラインの下には太さ3mmの紐が張ってあるため、選手はその凹凸に触れることで自分の位置や方向を把握することができるようになっています。
ゲームを開始する際、先攻・後攻はコイントスで決定します。その後はボールを持った時点でそのチームに攻撃権が移っていくことになります。
コートの両端には、高さ1.3mのゴールがコート幅いっぱいに設置されており、双方のチームは敵のこのゴールを目がけてボールを投げ込んでいくことになります。
前半12分の後にハーフタイム3分を経て、後半12分を行い多く得点した方のチームが勝利となります。ただし後半終了時点で同点だった場合は延長戦が行われます。
チームタイムアウトは1回45秒であり、試合中4回まで取ることができますが、ここで注意点があります。
それは、4回取る場合1回以上を前半で使わなければなららないということ。もし前半で1度も取らなかった場合でも、後半だけでは3回までしか使うことができないので気を付けなければいけません。
また、ボールの投げ方にもテクニックが必要になってきます。攻撃側のチームは、相手チームの選手と選手の間、もしくはゴールポスト際を狙って投球することになりますが、投げたボールがチームエリア、ニュートラルエリアの両方の床に接してからゴールに入らなければ得点にならないのです。
つまり、自分のチームエリアでボールがバウンドしなかったり、チームエリアでバウンドしたボールが一度もニュートラルエリアで着地しなかったりすると反則行為となってしまうのです。
その場合は相手チームにペナルティスローが与えられます。この内容はなかなか厳しいもので、相手チームが投球を行う際に、反則をした選手が1人でゴールを守らなければならなくなってしまうのです。
当然、相手に得点される危険性が非常に高く、かなり不利になってしまいます。ペナルティにならないような投球を行う技術を身につけることが、ゴールボールをプレーするために最初に求められることだと言っても過言ではないでしょう。
ゴールボールの大会について
日本でゴールボールが広く周知されるようになったのは、先述したように1992年になってからのことでした。しかし、それよりもずっと前に世界ではゴールボールの大きな大会が開催されていたのです。そう、パラリンピックです。
1972年にはハイデルベルグ大会(当時の西ドイツになります)で公開競技となり、さらに1976年になるとカナダのトロント大会で正式種目となりました。
さらに1978年にもなるとオーストリアでワールドチャンピオンシップも開かれることになり、ゴールボールは世界的に広まっていくこととなったのです。
現在もパラリンピック大会夏季20競技の一つとして登録され、視覚障害者の正式種目(球技) として大いに盛り上がりを見せています。
ちなみに日本でのゴールボールの競技人口は、普及が始まった1992年には僅か4~5人程度でした。しかし2016年の段階では約100人まで増えており、今後も競技人口の増加が大いに期待されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。真っ暗な闇の中、音を頼りに仲間と連携するスリリングなスポーツ、それがゴールボールなのです。
目が見える人も見えない人も平等にプレーすることができる、この魅力的なスポーツ。興味を持った方は是非、さらに詳しくチェックしてみてください。
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