どこよりも熱くお届けするスポーツコンテンツ

NEW POST

スポスルマガジンの最新記事

スポーツ豆知識

【ブランコ】語源はなに?遊具の歴史についても解説!

公園の遊具の中で、皆さんが真っ先に「おなじみのもの」として思い浮かべるものはなんでしょうか?
子供達に人気の遊び場として、ブランコを挙げる人は少なくないことでしょう。
小さな頃、お父さんお母さんに背中を押して貰ったという人や、友達同士でアクロバティックな遊び方を研究していたという人もいるかもしれません。
今回はそんなブランコの語源及び遊具の歴史について詳しく解説していきます。

ブランコの語源とは?

ブランコの語源は擬態語である“ぶらりと揺れる”や“ぶらんと揺れる“などから来た名前ではないかとされているのです。
ブランコは、漢字で書くと「鞦韆」となり、「しゅうせん」という読み方もします。
『和名抄』『色葉字類抄』といった平安時代の書物によると、「鞦韆」という漢字を「ゆさはり」と読ませていたようです。極めて難しい漢字であることから、一般的にはカタカナや漢字でブランコと書く事が多いのです。
ブランコの語源となったものにはもう一つ、ポルトガル語で揺れや振動という意味である「balanço(バランソ)」ではないのか?という説もあります。ただし、バランソ、という音からブランコに発展するというのには音からしても無理があることや、江戸時代には「ぶらんこ」意外にも「ぶらここ」「ふらここ」「ぶーらんこ」「ぶらりんこ」「さんげぶらりん」などの呼び方もありどれもバランソからは遠いことから、やはり擬態語から発展した説の方が有力なのではないかという意見が根強いのです。

【関連記事はこちら】⇩
【スポーツ】競技人口ランキング世界Top5!球技が圧倒的人気!
【保存版】お金がかかるスポーツとかからないスポーツ【各3選】

公園の遊具の歴史を知ろう!

公園はいつからあったの?

昔、子供達は野山や川といった、自然の中で遊ぶことが一般的でした。
子供達の遊び場のため、人々の憩いのための公園という概念がいつから生まれたのか、その正確なところはわかっていません。ただ、日本初の公園に指定されている公園は寛永寺であるということ。ここは現在の上野公園であり、開園されたのは1873年(明治6年)。この公園は、1876年(明治9年)に完成しているということです。この頃、明治政府は日本の西洋化・近代化を進めており、公園もその一環として作られたのではないかと言われています。
ただ、この頃の公園には現在のように遊具と呼ばれるものはなく、どちらかというと広場・庭園に近いものであったようです。

ブランコはどうやって日本に来たの?

そもそも公園に遊具ができたのは、子供達が遊ぶため、という目的のためではありませんでした。現在私達にとっておなじみのブランコについて、明治元年(1868年)に出版された『佛蘭西陸軍伝習 新兵体術(田辺良輔(雅好)』に記述があります。これによると、陸軍で訓練するために作られたもの・訓練項目として棒高跳・棒幅跳、木馬(跳び乗り、後方回転下り等を練習)があり、その中にブランコが登場しているのです。そう、最初は兵士が体を鍛えるための道具としてブランコやそれに類する遊具が使われていたのです。
世界的に見ると、ブランコのルーツとなったものの歴史は非常に古いものであり、なんと紀元前3000年頃には存在していたとのこと。少なくともインドでは紀元前2000年頃から始まるウェーダ時代から、ヒンドゥー教の儀式の一環としてブランコが知られていたようです。それがギリシャや中国といった国々を経由し、日本にも平安時代前期には似たようなものが伝わっていたといいます。しかし、興味深いことに、これが「子供達の遊具として」使われるようになるには、さらに長い年月を経ることになるのです。
軍隊で体を鍛えるために用いられていたブランコ。それがやがて教育現場に用いられるようになっていきますが、最初に取り入れられたのは公園でもなければ小学校でもなく、大学であったというのはあまり知られていない話でしょう。
最初にブランコが取り入れられた慶應義塾大学の創始者である福澤諭吉は、勉学と同じくらい運動の重要性に注目していました。彼は「学業の疲れを散じ、身体の健康を保つ手段として、西洋の学校では体育を重視している」と述べ、大学の中庭を運動場とした上で、ブランコ以外にも公園でおなじみの遊具であるシーソーや鉄棒などといったものを整えていったのです。
これがやがて、もっと低年齢の子供達が心身の健康を保つことができるよう、小学校や公園への設置に繋がっていったのでしょう。

公園で人気の、3つの遊具!

現在公園でよく見かける遊具のうちでも、特に有名な三種の神器があります。それが、「ブランコ」「すべり台」「砂場」の3つです。現在でもこの遊具がある公園は非常に多く、これらで楽しく遊んだ記憶があるという人は幅広い世代に渡ることでしょう。ではなぜ、この3つの遊具は多くの公園に設置されているのでしょうか?
これには当然理由があります。昭和31年(1956年)に「都市公園法」というものが制定されたからです。
この法律は「都市公園の設置と管理に関する基準などを定めて、都市公園の健全な発達をはかり、公共の福祉の増進に資すことを目的とする」というものであり、その中で児童公園(現在の街区公園にあたります)に関しても規定がありました。それが、「ブランコ」「砂場」「すべり台」の3つの遊具の設置を義務付けるというものです。そのために、これらの遊具は多くの公園に設けられることになりました。平成5年(1993年)に都市公園法改正が改正されるまでこの規制は続き、その結果今でもこの3つの遊具がある公園は非常に多いのです。

公園が淋しくなってきた、一体どうして?

長らく子供達を楽しませ、大人達にも憩いの場を提供してきてくれた公園。しかし、近年その公園に変化が現れつつあります。なんだか昔より公園が淋しくなってしまったな、と思う人もいるのではないでしょうか。原因は、昔ながらの遊具の多くが姿を消しつつあることです。
近年はおなじみだった「シーソー」をはじめ、「回転ジャングルジム」「箱型ブランコ」といった動きのある遊具を中心に姿を消しつつあります。原因は、遊具による事故が増加したことと、人々の安全意識が高まったことでしょう。当たり前ですが、どんな道具も年月を経れば経年劣化で脆くなっていくもの。長年時間を経た遊具が、きちんとしたメンテナンスや管理をされていなければ劣化していくのは必然です。また、子供達が独自に新しい遊び方を模索しようとした結果、本来意図しない使い方をして怪我をするケースも多発しました。事実、1990年代後半から2000年代初頭にかけては、箱型ブランコをはじめとした遊具で事故が多発し、死亡者も出る結果となっています。
本来ならば、動きのある遊具だからこそ必ずしも危ないというわけではないはずですが、「こういう遊具は子供達に危ない、事故が起きてからでは遅い」という考えが広まったこと、メンテナンスや管理が難しいなどの観点からそれらの遊具が倦厭されるようになってしまいました。その結果、公園に昔からあった遊具の多くが姿を消すようになってしまったのです。
近年、体を動かさない娯楽が増えたことも受けて、子供達の運動能力が全般的に低下しているというデータもあります。現代に即した、新しい公園や遊具の在り方、遊ばせ方が今まさに問われているのかもしれません。

まとめ。

いかがでしたでしょうか。この記事を読んで、童心に返ってブランコで遊んでみたくなったという人もいるかもしれません。
適切な運動が健康にとって重要なのは、大人も子供も同じです。ぜひ、安全で健康的な公園の遊び方を、皆さんで模索してみるといいのではないでしょうか。

【関連記事はこちら】⇩
【スポーツ】競技人口ランキング世界Top5!球技が圧倒的人気!
【保存版】お金がかかるスポーツとかからないスポーツ【各3選】



  • この記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
初音

初音

おうちでまったり、頑張る人達を応援するのが好きです。

インドア派ですが、スポーツをはじめ頑張っている人達をおうちで応援してる系ライターです。子供の頃は水泳大好き少女でした。運動音痴だけどスポーツ見るのは大好きです!

  1. ツリークライミングとは?資格取得方法もご紹介!

  2. 【ブランコ】語源はなに?遊具の歴史についても解説!

  3. フレスコボールの歴史・ルール・大会【スポーツ辞典】

PAGE TOP