前回のコラム(サッカーの本質を探る旅・1【くぼっちコラム】)でも書いた通り、国や民族、そしてあらゆる人によって様々な解釈がある「サッカーの本質」という超難題を自分なりに噛み砕いて読み砕き、これから数回に渡り、皆さんに伝えていきたいと思います。
「サッカーの本質とは何か」を語る上で、まず大前提として外せないのが、「サッカーは、人と人が、人と人の間で、ボールを介して行うものである」ということです。
随分と遠回しで哲学的な言い方になってしまいますが、この言い方が、サッカーというスポーツが持つ要素を一番端的に言い表していると思います。
・人と人⋯味方と相手
・人と人の間⋯自分と味方、自分と相手、自チームと相手チーム。それぞれの「間」で流れる時間や、そこにある場所のこと。
ここでは、それを総称して「状況」と呼ぶことにします。
つまり、サッカーは
・味方と
・相手と
・状況の中で
行うものであるという前提があり、その上で「ボールを介して行うもの」ということになるわけです。今日はこの中から、まず「サッカーは味方と行うもの」について、掘り下げてみます。
サッカーとは、相手との関わりの中で行うものである
言うまでもなく、サッカーは団体スポーツです。小学生まではほとんどが8人以下で、中学生からは、11人制で行います。つまり個人競技ではないので、例え自分がメチャクチャうまい選手だとしても、試合で良いプレーができるかどうかは全く別の話です。
味方との関わり方次第でそれは大きく左右されてしまいますし、大袈裟にいえば、プロの選手が小学生の試合に混ざったとしても、おそらく個人の力だけではうまくプレーできません。一緒にプレーする小学生の味方と「うまく関わる」ことで、ようやく「さすがプロ」という、巧さが発揮できるでしょう。
逆に自分が下手でも、その日の調子が悪くても、味方のおかげで良いプレーができることもあるわけですね。それらはなぜかといえば、まさに「サッカーは味方との関わりの中で行うもの」だからです。
では「味方との関わり」とは具体的にどういうものなのか。ここからさらに掘り下げていきましょう。
味方を見る、味方と繋がる
サッカーのプレーにおいて大切なことは、常に味方と繋がること。
繋がるとは、味方同士でお互いに「良いプレーとは」という同じ共通認識の中でプレーすることであり、なおかつ、味方同士でお互いがどこにいるか、これから何をしようとしているのか、だから今はこうしたほうがいい、という「同じイメージ」が描かれていること。
そして、それを相手に悟られずに、相手がついてこられないタイミングでやれる「密かな準備」ができているということ。これが「味方と繋がる」ということです。
繋がるためには「味方がどこにいるか」「味方がどういう状況にいるか」を、見ておかないといけません。だから、まずは「味方を見る」ことが必須になってくるというわけですね。
ボールよりも、相手よりも、スペースよりも、ベンチの監督よりも。ともかくまずは「味方を見ること」です。
逆説的にいえば、味方同士でその繋がりがどんどん研ぎ澄まされていけば、そのうち「味方を見ないでも繋がっていられる」ようにまでなれるのではないでしょうか。
「いちいち見ないでも、味方がどこにいて、何をしようとしているかは手にとるようにわかってる」
そんなの無理やん、と思いますよね。
でもこれ、見方と考え方の伝え方と実際のトレーニング次第では、小学生でもやれるようになると僕は思ってます。
味方を活かし、味方と活かされる
実際に味方と繋がったうえで、今度は味方を活かしてあげる。
(今、あいつにパスを出そうかな)
(でもあいつ、まだ相手に見られてるな)
(じゃ少しこっちで時間つくって、相手の意識をこっちに向けさせて⋯)
はい、今!と、そのパスを受ける味方が一番プレーしやすい状況をつくってあげて、最善のタイミングで最良のパスを出すとか。
味方が受けやすいボールの質でパスを出し、味方が次のプレーに移りやすいような場所にパスを出してあげるとか。スピードに自信がある味方ならば、あえてスペースに出してあげるとか。
逆にボールテクニックに自信のある味方ならば、あえて相手がマークについている状態でパスを出してあげて、そこで彼のテクニックで相手をやっつけさせてあげるお膳立てをしてあげるとか。
いずれも、味方を活かしてあげられてますね。ナイスです!
味方と繋がるには味方との相互理解が何より必要ですから、味方の特徴をよく理解し合った同士で、互いの良さを存分に活かせるようなパスを互いに出し合ってあげる。味方を活かせば、次は味方が自分を活かしてくれる。
サッカーは人と人がやるもの。持ちつ持たれつ、一心同体の関係ですね。
おっと、今「パスを出す」という表現をここではあえて使いましたが、パスを「出す」という表現はやめるべき、と僕は常々思っています。そんな「サッカーにおける言葉の使い方」については、またこのコラムでおいおい書いていきますね。
味方を助ける、味方に生かされる
サッカーは人がやるもの。人間なので、ミスはつきものです。サッカーはミスのスポーツ、とも言われます。
では、その「ミス」とどう付き合うか。良いチームであるかどうか、良い選手であるかどうかはそこが一つの判断基準になるのではないかと思うのです。
ミスをした味方を責めたり、文句を言ったり。これでは、良いチームではないですよね。サッカーは人とやるもの、という大前提にすら立っていません。
つまりサッカーの本質を理解していないチーム、ということになります。しかし、それをきちんと理解し、味方同士で「繋がっていられる」チームならばどうなるか。
ここまで読んでいただいた方ならもうおわかりですよね。その味方のミスですら、味方同士でなんとかしちゃえ!という究極の助け合いが生まれます。
「あいつのミスを、ミスのままでは終わらせない。真っ先にそのボールを拾ってやろう」とか
「あいつ、この状況だとボール失うかもしれないな⋯じゃ、奪い返しに行く準備しとこ」とか、実際に奪い返しちゃうとか。
相手にしてみたら「よし、相手がミスった!奪った!チャンスや!」と一気呵成に攻めようとするであろうところを、「そうはさせぬわ!」と、またそのボールを味方が奪い返してあげる。
少し前のミスがキッカケでなおさらチャンスにもなっちゃう、なんてことはザラにあります。
しまった⋯!と一度死にかけた味方をもう一度生き返らせてあげるのは、味方にしかできないことです。
「サッカーは、人と人が人の間で行うもの」というサッカーの本質を理解した上で、味方同士で繋がっていれば。このように、実際のプレーにも必ずや好影響が生まれてくる。
サッカーとは、そういうものではないでしょうか。
最後に
いかがでしたでしょうか。今回は、ここで終了です。次回と次々回の予告です。
・サッカーの本質を探る旅・3〜 相手との関わりの中で
・サッカーの本質を探る旅・4〜 状況との関わりの中で
・サッカーの本質を探る旅・5〜 ボールとの関わりの中で
それ以降は、テーマを変えながらまたひと味違う見方と考え方で、サッカーについて独自に考察し、皆さんに伝えていけたらと思っています。
お楽しみに!
【くぼっちコラム サッカーの本質シリーズ第3回はこちら】⇩
・サッカーの本質を探る旅・3【くぼっちコラム】