「サッカーの本質とは何か」という超難題を探るシリーズ、今回で第3回目となりました。
「サッカーは、人と人が、人と人の間で、ボールを介して行うものである」
このフレーズについての解説は、前回コラム(サッカーの本質を探る旅・2【くぼっちコラム】)をぜひご参照下さい。
この大前提のもとで「サッカーの本質」を本格的に探り始めた前回のコラムでは、まず「サッカーは、味方との関わりの中で行うものである」という観点で、その上で「味方を見ること、味方と繋がること」が大切、と書きました。
サッカーとは、味方との関わりの中で行うものである
しかし・・・味方がいるなら、当然相手もいる。
味方とだけ繋がり、味方同士の関係性をいくら磨いたところで、試合ではそれを邪魔しにくる「相手」の存在を無視してしまったらそれこそ本末転倒でサッカーになりませんし、せっかく練習した味方との繋がりも全く意味を成さないままに、絵に描いた餅になってしまいますね。
そこで、今回は前回から一歩進んで、「サッカーは、味方と繋がりながら、相手との関わりの中で行うもの」という観点で、考察をさらに掘り下げていこうと思います。
味方との関わりを磨くのはトレーニング。そこに相手が加わって、初めて試合になるのがサッカー。
さぁ、ようやくkickoffです。
相手を探すこと、相手を見ることの是非
とは言いつつも、前回のコラムでは「ボールよりも相手よりも何よりも、まずは味方を見ること」と書きました。
そこには何の疑問もありません。僕の中で、その認識は絶対領域です。自分がボールを持たない時も、自分がボールを受けた時も。まず見なければいけないのは味方です。
より良い場所や良い状況にいる味方と繋がりながら、ボールを介してゲームを進めていく。たった独りでボールを運ぶのは無理なので、味方とボールを受け渡し合いながらゴールを目指します。
そう考えると、その時にまず見るのはやはり味方であるべき。だって味方と協力しながらやるんだから。
先に結論から言いますが、相手をいちいち探す必要も、見る必要もない。僕はそう思っています。
自分が指導する選手達にも、実際にそう伝えています。
なぜ、相手を探す必要も見る必要もないのか。
例えば、A選手がB選手へパスを出したい、と思ったとします。そしたらAはBを見てプレーしますよね。
そこで「あ、今ならパスが通る」と思えばそのままパスをすればいい。そこに相手が来なければ、パス成立です。
しかし相手も当然それを防ぎたいわけですから、AがBにパスを出そうと思ってそのモーションをしたら、そのパスをインターセプト(パスを遮断し奪うこと)しに動いてくるはずです。
この時点で、AはまだBを見てるだけです。でもBのことを見ているから、そのコースに邪魔しに入ってきた相手選手のことは、Aが何も苦労しなくても、勝手に見えてきますよね。
ここでAがBを見ないで下にあるボールに目を向けていたとすれば、邪魔しにくる相手選手の動きは見えません。そのままパスを出して、相手にインターセプトされてカウンターを喰らうわけです。
しかし、AがちゃんとBを見たままでパスを出そうとしていれば。
Aが相手を探そうとしなくても、相手を「見よう」としなくても、わざわざ相手のほうから勝手にAの視界に入ってきてくれます。
味方を見てプレーすること。相手を探す必要も見る必要もないというのは、こういう理屈からです。
そしてこれは決して理屈上の話だけでなく、サッカーの原理そのもの。
こちらが味方を見ながらプレーしていれば、本当に邪魔な相手、用心しなければいけない相手、本当に見なければいけない相手は、向こうから勝手に視界に入ってきてくれます。
結論
「味方を見ながら、味方と繋がりながらプレーしていれば、相手のことは勝手に見えてくる」
これは疑いようのない、サッカーにおける肝の部分だと思います。前回のコラムと、ここで繋がりました。
相手に影響を及ぼすプレーをしなければならない
少し観点を変えましょう。
試合であまりプレーがうまくいかない場合は、大抵が「自分がうまくやりたい」とか「自分がミスをしないように」というマインドでプレーしている時だと思います。
「自分がボールをうまくさばけた。あとは知らん」
「ミスらないように、とにかく早めに味方に渡しとこ」
「自分がボールを持ちたい!カッコいいとこ見せたい!」
これらに共通するのは⋯もうお分かりですね。味方と何一つ繋がっていない。そして、相手のこともまるで意識していません。
とにかく自分だけに矢印が向いている状態です。
必要なことは、自分がうまくやることでもなく、ミスをしないようにやることでもない。ミスは味方が拾ってくれることにもなっていたじゃないですか。(前回参照)
大事なのは、味方と繋がり協力しながら「相手を崩すこと」です。
もちろんいつでもどこでも「崩す」わけではなく、最終的に崩すために、少しでも相手に「影響を及ぼす、影響を与える」ようなプレーをすることが大事になってきます。
これはリアルに相手と直面するので勇気がいることでもありますが、味方と繋がっていれば大丈夫。
そう、自分だけでなく味方と協力しながら相手と対峙し、相手を動かし、相手を破り、相手と相手の間を広げ、相手の背後を取っていく。
何気ないパス交換に見えたとしても、それがジャブのように効いていき最終的に大きなアドバンテージになることも、サッカーでは多々あります。
どんな形でもいい。自分がどうこう〜という内向きマインドではなく、相手に影響を及ぼすようなプレーをする、という外向きマインドで、常にプレーしなければいけないと思うのです。
相手との駆け引きは、サッカーの大きな楽しみの一つ
相手とプレーすることには勇気がいると書きましたが、勇気がいるということは、裏を返せば「恐怖がある」ということ。ミスるんじゃないか、奪われるんじゃないか、などなどの恐怖に打ち勝つために、勇気が必要になってくるんですよね。
では、勇気ってどうしたら手に入るでしょうか。答えはふたつ。自信と味方です。
うまくなるためにたくさん練習して、テクニックを身につけ、個人戦術も蓄える。それが武器となり、自信の裏付けになります。
そして味方の存在。これはもう、前回から今回にかけての文章で、言うまでもないことですよね。
自信と味方に裏付けられて勇気が出てきたら、今度は相手を崩すための「駆け引き」を、前向きに楽しめるようにもなってきます。
相手との駆け引きは、サッカーが持つ大きな楽しみのうちの一つです。
こっちと見せかけてこっち
今それやる!?と思わせるような、虚をつくプレー
味方と繋がりながら、相手を誘い、引きつけ、相手に罠を仕掛けていく
奪える!と思わせておいて、寄せてきた相手をいなして置き去りにしてしまう
などなど。
相手と対峙するには勇気が必要。勇気を得るためには、自身と味方が必要。
自信を得るためには練習。味方との繋がりを磨くのも、練習に次ぐ練習。
そこで初めて、相手との駆け引きを楽しめるようになる。
つまり相手とプレーするためには、結局は練習が何よりも大事。
魔法などない。奇策などもない。
明日からまた、仲間(味方)と一緒にしっかり練習しましょう!
最後に
いかがでしたでしょうか。前回の「味方との関わりの中で〜」と合わせて読んでいただけると、さらに理解も深まっていけるのではないかと思います。
では、次回そしてシリーズ最終回の予告です。
・サッカーの本質を探る旅・4〜 状況との関わりの中で
・サッカーの本質を探る旅・5〜 ボールとの関わりの中で
次回予定している「状況との関わりの中で」は、今回のシリーズ「サッカーの本質を探る旅」の中でもハイライト、とても重要な回となります。書くこちらも、今からワクワクしています。
【くぼっちコラム サッカーの本質シリーズ第4回はこちら】⇩
・サッカーの本質を探る旅・4【くぼっちコラム】