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サッカーの本質を探る旅・1【くぼっちコラム】

はじめまして!くぼっちといいます。

20代の頃にジュニア年代対象のサッカークラブを立ち上げ、クラブ運営とともに自らもコーチをしながら、仕事としてずっとサッカーに関わってきました。

また、そんなクラブ運営やコーチ活動と並行して、サッカーに関わる複数のメディア媒体でコラムなども書かせてもらってきました。

今回、縁あってこのスポスルマガジンでコラムを書かせてもらうことになりましたので、よろしくお願いいたします。

サッカーの本質って、なんだろう

紆余曲折あり、自身のコーチ人生も一周目が終わり二周目に入った感のある最近なのですが、そうこうしている間にも世界のサッカーは、進歩と進化を目まぐるしく遂げてきました。もちろん今でも、それは現在進行形の真っ只中です。

日本でも海外の戦術や最新理論などの様々な情報は簡単に手に入り、誰でも分析や解析、そして独自の理論なども簡単に発信できるようになった今、日本のサッカー界隈は、ある意味で何でもありのカオス状態になっている気がします。

海外から学ぶことはとても大切です。海外の真似から入ることも必要でしょう。

しかしその一方で、海外の最新の戦術や理論、また斬新な練習メニューを真似しているだけでは海外には追いつけないし、自分自身の考えや理念、哲学といったものはきっと、いつまでも手に入りません。

目に見えるものと、目に見えないもの

何が言いたいのかというと。
目に見えている表面上のものを真似していても、それは理解したことには決してならないし、目に見えている表面上のものをわかったつもりになっていても、それを自分なりに解釈して自分なりに落とし込み、そして自分色に塗り替えてアップデートしてこそ、初めて「理解した」ことになり、そこで初めて「自分のもの」になると思うのです。

「目に見えているもの」の対義語は、当然「目に見えていないもの」ですね。
この「目に見えていないもの」「目に見えていないこと」を自分なりに探り、見つけ、そして探究する。これがないと本当の意味での学びにはならないし、進歩もできないのではないでしょうか。

では、サッカーにおける「目に見えていないもの」とは何でしょう。

サッカーはイギリスで生まれ、そして南米に輸出され、そして世界中に広まっていく中でその土地土地の文化や土壌、国民性などに大きく影響されて作用を起こし、それぞれの国ならではのサッカー文化、サッカースタイルが築かれてきました。

それぞれの国民性や民族性により「サッカーとはこういうものだ」というそれぞれのアイデンティティーが生まれ、それに基づいた上で「だから、こうプレーしたほうがいい」「だから、こういう見方をすると楽しい」といったような、それぞれのサッカー哲学やサッカー文化が生まれてきたのだと思います。

「サッカーとはこういうものだ。だから、〇〇」
これをワンフレーズで言い換えると・・・【 サッカーの本質 】という言葉になるのだと思います。
この「サッカーの本質」こそが、まさに「目に見えないもの」なんですよね。だから厄介なのです。

何でもありの寄せ鍋って美味しいよね

ではでは、「サッカーの本質」って、一体なんなんでしょう。これには、国や民族によっていくつもの解釈があります。もちろん、人によっても様々な解釈があるでしょう。

そしてここからがようやく本題

何でも真似しちゃう、何でも取り入れちゃう、そして流行りの何かに靡き(なびき)やすいこの日本ではなおさら、先ほども書いたようにまさにカオス状態、となっているというのが現状です。

「サッカーの本質」について自論(持論)を持っている人、持っていない人、そもそもそんなこと考えたこともない人。色々な人が指導者をやり、サッカーを語り、サッカーを教えている。という何でもありの寄せ鍋状態が、今の日本サッカー界。

ただ僕は、この寄せ鍋状態は決して悪いことだとは思いません。良くも悪くも日本人の特徴的な現象だし、いろんな具が入っていて肉からも魚介類からも野菜からもいい味のダシがとれる寄せ鍋、最高に美味しいじゃないですか。

「サッカーとはこういうもの!そう決めた!この路線で日本は行くからね!鍋はカニ鍋だけやで。みんなで統一してこれに合わせるように」などとお上から言われ、多くの人が「はい、かしこまりました!」となっちゃったら、それこそ味気ないしつまらないじゃないですか。いろんなダシもとれないし。

だから、何も味がない、何のダシもない無味無臭なのは困るけれど、それぞれが自分なりに味を出し、それぞれの「サッカーの本質」を持っている、それを自分の言葉で語れる。

そんな人達がたくさんいる、カオスな寄せ鍋だったならば、まさにそれこそが「何でもありのスッゲーCOOLな日本サッカー文化」になっていく気がするのです。

そのため、今の状態は決して悪いことではなく、これをうまく転がしていけば、きっと日本ならではの面白くて味わい深いサッカー文化が、これから醸成されていくような気もしています。

何を隠そう、この僕も、その寄せ鍋の中の一人です。
そして幸い、自分なりの「サッカーの本質とは」を、自称ながら持っているつもりです。

そこで、今回から始めさせていただくこのコラムでは、サッカーの本質という難しい言葉をもう少し噛み砕くために、サッカーというスポーツが持つ様々な要素、原理、そして世間一般とは少し違う見方、考え方、僕なりの解決法などを、まずはここから数回に渡り、あくまでもライトに、皆さんの興味を惹くような形で書いていこうと思います。

まとめ

壮大な自己紹介と予告編となってしまった初回ですが、今回はこれで終了です。

「見方と考え方が変われば違う景色が見える。違う自分になれる」

この言葉は、自分で考えた最新の座右の銘です。まぁ、その時々でコロコロ変わるんですけど。この言葉のように、読んでいただいた皆さんにこれまでとは少しでも違う景色を見せることができたなら、これ以上にない喜びです。

次回以降、本格的に「サッカーの本質」を噛み砕き読み解いて、美味しいダシを放出していきます。どうか皆さん、よろしくお願いします!

くぼっちコラム サッカーの本質シリーズ第2回はこちら】⇩
サッカーの本質を探る旅・2【くぼっちコラム】



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くぼっち

くぼっち

見方と考え方が変われば違う景色が見える。違う自分になれる。現実の殻を破るのだ

20年以上サッカーのプロコーチをしてきましたが、サッカーよりも好きなものがたくさんありすぎて、その影響か、サッカーを別の角度から見たり、疑ったり、これまでの見方を変えてみるという悪癖があります。でもそうすると、これまでとは全く違う景色が見えたり、新たな興味も湧いてくるんですよね。理想が現実を塗り替えていく、そんな世の中にしたいです。

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