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サッカーの見方について・3【くぼっちコラム】

どんな試合にも必ず背景と前提があり、そこに至るまでの経緯、ストーリーがあります。

それは対戦する両チームにおいてはもちろんのこと、その試合に関わる全ての人にも、同じように必ずあるものです。

それらを抜きにして見るのと、それらを踏まえた上で見るのでは、同じ試合を見たとしても、きっとまるで違う印象になるのではないでしょうか。

「サッカーの見方」シリーズ最終回の今回は、僕が普段からとても大事にしていることでもあり、多くの方に伝えたいテーマです。

ぜひ、最後までお読みいただけたらと思います。

それぞれの背景、前提、そこに至るまでのストーリー

サッカーは人がやるものです。

いくら分析しても、いくら戦術を練っても、人間は時に強く、時に弱く、時に勇敢で、時にはだらけ、サボることもある。

完全完璧な人間など一人もいないし、サッカーの試合がある日にもどこか必ず、何かを抱えて生きているものでしょう。

今から始まる試合の裏には、決して戦術ボードの上だけでは語れない、そこに関わる全ての人達が抱える、人間ならではの様々な背景があるものです。

選手個々だけでなく、チームとしての背景、代表チームであれば国そのものの背景や、そこに至るまでの歴史も含まれるかもしれません。サッカーはサッカー、そんなの関係ないと言われるかもしれませんが、僕は、そこは決して切っては切れないものだと思うのです。

サッカーは人がやるもの、だからこそ。

その裏にある背景、前提、そしてその試合に至るまでのストーリー。

それら全てを含んだうえで試合が始まる。サッカーはそういうものだし、それが、試合そのものに大きな影響をも与えるもの。

この観点は、試合を見るときに、無視できないものなのではないでしょうか。

なぜ、それらが大事なのか

例えば高校生の試合だとしたら、その試合が練習試合なのか、それとも公式戦なのか。

同じ公式戦でも、リーグ戦の中の一試合なのか、新チームのスタートとなる新人戦なのか、それとも、3年生の引退がかかる、選手権予選なのか。

その前提の違いにより、試合の色も空気もまるで違うものになりますよね。

そしてそこには、そのチームにしかわからないそれまでの過程やストーリー、そして背景もきっとあるわけです。

その背景やストーリーを知らずに、ただ「今のプレーは…」などと評論したとしても、その人にはその試合の真実が見えていないから、その評論はほぼ中身のない空虚なものとなってしまいます。まさに机上の空論ですね。

机上の空論でいえば、相手チームの分析や、試合を見ての分析だってそう。

目に見える映像やプレーだけを見ていくら分析をしても、その裏に隠されている様々な背景やストーリーを無視しては、そのチームの本当の姿までは分析できない。その裏にある本当の真実が、プレーに大きな影響を及ぼすのがサッカーなのですから。

話は一気に飛躍しますが、、国レベルの話でいえば、2018年に行われたロシアW杯、決勝戦はフランス対クロアチアでした。

試合はフランスが勝ち優勝しましたが、古くからのサッカーファンならば、クロアチアの「これまで」に想いを馳せながら、感慨深く観ていた方もきっと多かったのではないでしょうか。僕も、その一人でした。

クロアチアは旧ユーゴスラビア。ご存知のように旧ユーゴスラビアは長く続いた内戦により分裂し、国家としての形はなくなってしまいました。

ユーゴ分裂の前、最後にW杯(1990年)に出てベスト8にまで進出した時の監督は、日本人にも馴染みの深い、あのオシムさんです。そしてその時のエースは、若き日のストイコビッチ(ピクシー)でした。

月日は流れ、分裂して新たに生まれた国家のひとつ、クロアチアがW杯の決勝戦まできた。

試合は敗れ準優勝に終わりましたが、表彰式で、クロアチアの大統領が雨の中モドリッチを抱きしめた光景は、それまでのクロアチアの歴史、ユーゴの歴史を経たうえでこの場所に辿りついたという意味で、とても印象的なものでした。

きっと多くの人が、胸を締めつけられるような思いで見ていたのではないでしょうか。

サッカーは人がやるもの。画面だけ、戦術ボードの上だけでは、決してわからないのです。

サッカーは人がやるもの

人の心理だって、そこまでの経緯によってきっと大きく影響するでしょう。

例えば、、1ヶ月前、格上のチームに敗れはしたものの大善戦して、ボールもこちらが支配し、あと一歩のところまで追いつめて多くの人を驚かせた、というような試合があったとします。

そして1ヶ月後、その格上チームと再戦するとします。

ということは、この再戦に大きく影響してくるのは当然、1ヶ月前のあの試合のことですよね。

格上相手なのに、予想以上の大善戦をした。ゲームも支配できた。あの時の戦い方をもう一度やれば今度こそ俺たちいけるぞ!というマインドで臨んだとしたら、、おそらく今度は、派手に返り討ちに遭う気がします。

屈辱的な1ヶ月前の試合を経て、対戦する格上チームはこの再戦にどんなマインドで来るのか。

あの試合を踏まえて、どんな準備をしてくるのか。きっとうちのことをしっかりと分析し直し、開始から一気に牙を剥いてくる。

そんな想像をしないままに試合に臨むのと、しっかり想像して、その上でこちらもまた対策をして、、としっかり準備をすれば、ひょっとしたら、結果も内容もまた違うものになるかもしれませんよね。

最後に

いかがでしたでしょうか。

その試合に至るまでの背景、経緯、ストーリーを無視しては、その試合すらも語ることができない、という話でした。

チームだけでなく、選手個人個人についてもそう。先ほども書いたように完全完璧な人間など一人もいないのですから、前の試合で活躍したからといって、今日もまた同じように活躍するとは限らない。

だからサッカーは面白いし、人間の持つ強さも弱さも全て表れる中で繰り広げられるものだからこそ、見る人の胸を打つのだと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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くぼっち

くぼっち

見方と考え方が変われば違う景色が見える。違う自分になれる。現実の殻を破るのだ

20年以上サッカーのプロコーチをしてきましたが、サッカーよりも好きなものがたくさんありすぎて、その影響か、サッカーを別の角度から見たり、疑ったり、これまでの見方を変えてみるという悪癖があります。でもそうすると、これまでとは全く違う景色が見えたり、新たな興味も湧いてくるんですよね。理想が現実を塗り替えていく、そんな世の中にしたいです。

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