アメリカ最大のスポーツイベントであるスーパーボウル。
その中でも毎年注目されるのがハーフタイムショーです。
名前の通り、試合の前半と後半の間のハーフタイムに行われるショーですが、時代を代表する豪華アーティストのコンサートが行われ、試合以上の視聴率を稼ぐことも。
では今までにどのようなアーティストが出演してきたのでしょうか。
今回は、スーパーボウルのハーフタイムショー出演者を完全網羅。
ハーフタイムショーの歴史を変えた出来事もご紹介します。
【スーパーボウル】ハーフタイムショーの歴史
ハーフタイムショーといえば、豪華アーティスト。
しかし最初からそのような伝統があったわけではありません。
まずはハーフタイムショーがどのように生まれ変わったか、その一覧からご覧ください。
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歴代出演者一覧
開催年 | ハーフタイムショー出演者 | |
第1回 | 1967 | アリゾナ大 ミシガン大マーチングバンド |
第2回 | 1968 | ギャンブリング大マーティングバンド |
第3回 | 1969 | フロリダA&M大 |
第4回 | 1970 | キャロル・チャニング |
第5回 | 1971 | フロリダA&M大 エラ・フィッツジェラルド キャロル・チャニング |
第6回 | 1972 | アル・ハート 米海軍ドリルチーム |
第7回 | 1973 | ミシガン大マーチングバンド ウッディー・ハーマン |
第8回 | 1974 | テキサス大マーチングバンド |
第9回 | 1975 | マーシー・エリントン ギャンブリング大マーチングバンド |
第10回 | 1976 | アップウィズピープル |
第11回 | 1977 | ロサンゼルス市民バンドと大勢の市民 |
第12回 | 1978 | タイラー・アパッチ・ベルズ ピート・フォンテン アル・ハート |
第13回 | 1979 | ケン・ハミルトン 大勢のカリビアンバンド |
第14回 | 1980 | アップウィズピープル |
第15回 | 1981 | サザン大マーチングバンド ヘレン・オコネル |
第16回 | 1982 | アップウィズピープル |
第17回 | 1983 | ロサンゼルス・スーパードリルチーム |
第18回 | 1984 | フロリダ大 フロリダ州立大マーチングバンド |
第19回 | 1985 | 米空軍マーチングバンド |
第20回 | 1986 | アップウィズピープル |
第21回 | 1987 | 南カリフォルニア地域の高校のドリルチーム |
第22回 | 1988 | チュビー・チェッカー ロケッツ 88のピアノ |
第23回 | 1989 | 南フロリダ地域のダンサーたち |
第24回 | 1990 | ピート・フォンテン ダグ・カーショー アーマ・トーマス |
第25回 | 1991 | 子どもたち |
第26回 | 1992 | グロリア・エステファン ブライアン・ボイタロ ドロシー・ハミル |
第27回 | 1993 | マイケル・ジャクソン |
第28回 | 1994 | クリント・ブラック ターニャ・タッカー トラビス・トリット ワイノナ&ナオミ・ジュド |
第29回 | 1995 | パティ・ラベラ トニー・ベネット オーチュロ・サンドバル マイアミ・サウンド・マシーン |
第30回 | 1996 | ダイアナ・ロス |
第31回 | 1997 | ブルース・ブラザーズ ダン・アクロイド ジョン・グッドマン ジェームズ・ベルーシ ZZトップ ジェームズ・ブラウン |
第32回 | 1998 | ボーイズ・Ⅱ・メン スモーキー・ロビンソン マーサ・リーブス テンプテーションズ クイーン・ラティファ |
第33回 | 1999 | スティービー・ワンダー グロリア・エステファン ビッグ・バッド・ブードゥー・ダディ サビオン・グローバー |
第34回 | 2000 | フィル・コリンズ クリスティーナ・アギレラ エンリケ・イグレシアス トニー・ブラクストン |
第35回 | 2001 | エアロスミス インシンク |
第36回 | 2002 | U2 |
第37回 | 2003 | シャナイア・トゥエイン ノー・ダウト スティング |
第38回 | 2004 | ジャネット・ジャクソン Pディディ キッドロック |
第39回 | 2005 | ポール・マッカートニー |
第40回 | 2006 | ローリング・ストーンズ |
第41回 | 2007 | プリンス |
第42回 | 2008 | トム・ペティ&ハートブレイカーズ |
第43回 | 2009 | ブルース・スプリングスティーン |
第44回 | 2010 | ザ・フー |
第45回 | 2011 | ブラック・アイド・ピーズ |
第46回 | 2012 | マドンナ |
第47回 | 2013 | ビヨンセ |
第48回 | 2014 | ブルーノ・マーズ |
第49回 | 2015 | ケイティ・ペリー |
第50回 | 2016 | コールドプレイ |
第51回 | 2017 | レディ・ガガ |
第52回 | 2018 | ジャスティン・ティンバーレイク |
第53回 | 2019 | マルーン5 |
第54回 | 2020 | シャキーラ ジェニファー・ロペス |
第55回 | 2021 | ザ・ウィークエンド |
第56回 | 2022 | ドクター・ドレ スヌープ・ドッグ エミネム メアリー・J.ブライジ ケンドリック・ラマー |
第57回 | 2023 | リアーナ |
ハーフタイムショーを変えた出来事
1967年の第1回から1991年の第25回までハーフタイムショーは大イベントではなく、トイレ休憩の間を埋めるショーでした。
出演していたのは大学生のマーチングバンドや非営利の国際教育団体アップウィズピープルなど。そのためハーフタイムショーにはテレビの視聴率が大きく落ち込むのが一般的でした。
その状況を大きく変えたのは、1992年のハーフタイムショーです。
この年にはグロリア・エステファンが出演しましたが、「ウィンターマジック」がテーマのショーは中途半端なもので大失敗。多くの視聴者が裏番組のコメディドラマ「イン・リビング・カラー」の生放送特番に逃げてしまいました。
この大敗でようやくスーパーボウルはハーフタイムショーの改革を決意したのです。その意味では多くの音楽ファンは、ドラマなのに生放送という賭けに出た「イン・リビング・カラー」に感謝すべきかもしれません。
マイケル・ジャクソンが作った伝統
1992年の大失敗の翌年、スーパーボウルはいきなりスーパースターのマイケル・ジャクソンに出演を依頼します。
マイケル・ジャクソンはショーに登場すると、2分近くただ立っているだけというパフォーマンスを披露。
この演出に観客は大興奮し、ステージは伝説となりました。そして試合の前半戦よりもハーフタイムショーの方が視聴率がアップするという結果に。以降、ハーフタイムショーには大物アーティストを呼ぶことが慣習となったのです。
またハーフタイムショーに出演するアーティストはノーギャラというのも伝統になっていますが、その習慣を作ったのもマイケルでした。
彼は最初、ショーへの出演を渋っていましたが、スーパーボウルが世界中に中継され、各地に駐留しているアメリカ軍関係者にもライブを見てもらえることを知ると出演を承諾。出演料を提示されると、「夢を見るのにはお金はかからないよ」と言ってギャラを断ったそうです。
ノーギャラでスーパースターが出演する理由
たとえマイケル・ジャクソンが言ったからといって、その後のアーティストも全てノーギャラなのは迷惑な話・・・という気がしますが、実はそうではありません。
全世界の人々が観ることになるハーフタイムショーには、とても大きな広告効果があるのです。ショーが成功すれば売り上げも急上昇。アーティストはハーフタイムショーの出演に合わせてアルバムを発表することもあります。
またアーティストがチャリティー活動を行っている場合は、ギャラをもらって寄付することも。
このような仕組みがあるため、毎年世界最高のアーティストの出演が実現しているのです。
まとめ
スーパーボウルのハーフタイムショー出演はまさに成功の証。
日本で言えば「紅白歌合戦の大トリ」や「年越しライブ全国生中継」のような意味があります。
まさにアーティストにとって夢の舞台。
あなたは誰に出演して欲しいですか?
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