どこよりも熱くお届けするスポーツコンテンツ

NEW POST

スポスルマガジンの最新記事

スポーツ豆知識

ドーハの悲劇とは?当時のメンバーや試合内容について解説!

あなたは「ドーハの悲劇」という言葉を聞いて何を思い浮かべますか?

ドーハの悲劇を知らない方は、「なにかの演劇?」「ドーハってどこかの国の首都?」「悲劇ってことはなにか不幸なことがあったのかな?」なんて思ったりもすると思います。

そこで、「ドーハの悲劇を知らない」もしくは「聞いたことがあるけど内容までは知らない」という方に向けて、ドーハの悲劇について詳しくご紹介していきましょう!

ドーハの悲劇とは

ドーハの悲劇とは、1993年10月28日にカタールの首都ドーハで行われたサッカーワールドカップのアジア地区最終予選にて、日本代表がワールドカップ出場を逃した試合のこと です。

プロリーグも同じ年の5月に開幕していたこともあり、これまで以上に注目されたサッカー業界で初の国際大会がワールドカップでした。

そんな中、日本はアジア地区予選でグループ首位にたっており、ワールドカップ出場は確実と言われていました。

しかし、対戦相手のイラクに2対1でリードしたまま迎えたアディショナルタイムで失点したことにより、なんと予選敗退。

あと一歩のところでワールドカップ初出場を逃してしまいました。

このような背景から、日本では後に「ドーハの悲劇」と呼ばれるようになったのです。

平均視聴率について

試合が行われたのは22時〜0時15分。深夜帯の放送でしたが、テレビ東京では平均視聴率48.1%という脅威の数字を叩き出しました。

NHKでも放送されていたため、2局合わせたら国民の半数以上が視聴していたということになります。

この数字からも、当時の国民が日本のワールドカップ初出場に関心を持っていたことが分かるでしょう。

ドーハの悲劇が国民に与えた影響

悲劇として語られることの多い出来事でしたが、ドーハの悲劇は日本のサッカー史においてターニングポイントにもなったと言えます。

プロリーグが発足された中で日本のワールドカップ出場への道筋が見えたこと、日本サッカーがさらに注目されるようになったことなど。

以上のことから、ドーハの悲劇はサッカー人気の火付け役にもなったと言えるのではないでしょうか?

【関連記事はこちら】⇩
ドーハの奇跡とは?日本が歓喜した最高の一夜を詳しく解説!
【ワールドカップ】放映権料は推定350億円!?高騰を続ける理由とは

当時のメンバーについて

悲願のワールドカップ初出場まで王手をかけた当時のメンバーが誰だったのか、気になる方もいると思います。

ここでは、ドーハの悲劇と呼ばれた試合に出場したメンバーついてご紹介していきましょう。

もしかしたら、あなたの知っているメンバーもいるかもしれませんね。

スターティングメンバー

GK(ゴールキーパー)

松永成立

FW(フォワード)

長谷川健太、中山雅史、三浦知良

MF(ミッドフィルダー)

森保一、ラモス瑠偉、吉田光範

DF(ディフェンダー)

堀池巧、柱谷哲二、井原正巳、勝矢寿延

サブメンバー

福田正博、武田修宏、前川和也、都並敏史、大野俊三、三浦泰年、高木琢也、黒崎比差支、北澤豪、大嶽直人、澤登正朗

試合内容について

勝っても負けてもサッカー界において歴史に残る試合となりましたが、ここではさらに詳しい試合内容をご紹介していきましょう。

試合開始直後の日本の先制点

キックオフの笛が鳴り響いた5分後、三浦知良によるヘディングシュートで日本はいきなり先制しました。

そのまま試合を有利に進めた状態で前半は終了。

後半で同点になった後に決めた日本のシュート

後半に突入し、開始10分の55分にドーハの選手アーメド・ラディによるシュートで追いつかれてしまいます。

しかし、その後の69分に中山雅史がシュートを決め、またもや有利に試合を進める日本。

前半、後半ともにリードする展開に日本中が沸いていたに違いありません。

アディショナルタイムでの失点

2対1でアディショナルタイムを迎えた日本。選手も国民も、ワールドカップ初出場が確実に近づいていると思ったことでしょう。

そんな希望の光が見えていた90分17秒、ショートコーナーから飛んできたボールに食らいついたドーハの選手がいました。

その選手はオムラム・サムラン。彼は飛んできたボールをヘディングし、見事にゴール。

意表を突かれた同点ゴールに日本メンバーはへたり込み、試合を観戦していた誰もがみな、こんな状況になるなんて予想していなかったでしょう。

そして、同点のまま試合は終了し、上位2チームのみがワールドカップへ出場できる中、失得点差により3位となった日本は予選敗退 となりました。

まとめ

ドーハの悲劇と呼ばれる由縁や当時のメンバー、試合内容についてご紹介しましたが、いかがでしたか?

勝利目前にして失点した当時のメンバーは、相当悔しい思いをしたことが容易に想像できるでしょう。

そして、ドーハの悲劇から4年後の1997年。最終予選にて、当時の悔しい思いをバネにワールドカップ初出場への切符を掴み取りました。

その試合は 「ジョホールバルの歓喜」 と呼ばれています。

ワールドカップ初試合はグループリーグ敗退となりましたが、日本のサッカー史において忘れられない出来事となったでしょう。

もしかしたら、ドーハの悲劇を経験したメンバーがいたからこそ、ワールドカップ初出場に繋がったのかもしれませんね。

【関連記事はこちら】⇩
【ワールドカップ】死の組とは?歴代の組み合わせも調査!
【サッカー】延長戦の時間は?方式別に詳しくご紹介!



  • この記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
ごとうあきら

ごとうあきら

スポーツ好き主婦ライター

「野球」「サッカー」「テニス」「バレーボール」など、スポーツ全般が好きです。子どもにも運動好きになってほしいと思い、習い事はスポーツ系を選びました。主婦目線でスポーツの魅力を伝えていきたいと思っています!

  1. 【ジム】失敗しない選び方は5つ!各種類についてもご紹介!

  2. 【スポーツトレーナー】向いてる人とはどんな人?適性や必要な能力も

  3. 【スポーツトレーナー】種類別一覧|各仕事内容も詳しくご紹介!

PAGE TOP