野球プレーヤーたちの多くが、将来はプロになりたいと願い、さらにはいずれ海外のメジャーリーグで活躍したいという夢を持つ人もいます。
では、そんな夢への第一歩を踏み出すにはどうしたらいいのでしょう?
テレビでドラフト会議の様子を目にする機会は多いですが、それがどういう仕組みで行われているかはよくわからないという人も多いのではないでしょうか。
今回は、そんなドラフト会議について詳しく解説していきます。
ドラフト会議は何であるの?
ドラフト会議というものは、平たく言えば“プロ野球12球団が将来性のある選手を指名して、その選手の入団交渉権を得るために行う新人選手獲得会議”のことです。
毎年10月頃にテレビでその様子が放送されたり、特集番組が組まれたりすることにより、存在を知ったという人も多いのではないでしょうか。
ではドラフト会議というものを何故行うのでしょう?
それは12球団のそれぞれの戦力をある程度均等に保つためです。
理由はそれぞれの球団が自由に選手と交渉して獲得できるようにしてしまったら、有望な選手はみんなお金や人気の高い球団に流れていってしまうのです。
そうした場合、特定のチームばかりが強くなってしまい、観客が拮抗した面白い試合を楽しむことができなくなってしまいます。
その結果特定のチームばかりが勝つようになり、結果が見えた試合を誰も見に行かなくなってしまい、プロ野球そのものの人気が下がってしまうなんてことも考えられます。
そうなっては、業界全体の存続危機になってしまうのです。
ドラフト会議は特定の球団だけではなく、業界全体の存続を考えて生み出されたシステムなのです。
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ドラフト会議の歴史
ドラフト会議とは、日本の場合は一般的に日本野球機構が開催するもののことを指しています。
会議という名前がついていますが、実際はそれぞれの球団が欲しい選手を指名していき、同じ選手が複数の球団に指名された場合は抽選で交渉権を決めるという内容になっています。
時期は基本的に10月から11月のシーズンオフに開催されます。
このドラフト会議が作られたきっかけは先述した通り、球団ごとに資金力や人気が大きく偏っていたことが原因です。
かつては、資金力の高い球団が好きなように選手にスカウトを行っており、結果戦力がさらに偏ってしまうという状況に陥っていました。
これは不公平なのではないか?そう考えて、この制度を提案したのが当時の西鉄ライオンズの球団社長であった西氏でした。
その結果、1965年からドラフト会議が開催される運びとなったのです。
しかし、当時のドラフト会議の仕組みにはいろいろと問題点がありました。それが浮き彫りになったのが、通称“江川事件”と呼ばれる騒動です。
1978年の11月21日、当時怪物投手と話題になっていた江川卓選手を、読売ジャイアンツが翌日のドラフト会議を待たずして契約してしまったのです。
これは、江川選手が前年のドラフト会議で、別の球団に指名を受けていたにもかかわらず「自分の行きたい球団ではないから」という理由で交渉を断ったこと。
そして、当時のドラフト会議では交渉権を獲得した球団の交渉期日が“翌年のドラフト会議の前々日まで”とされていたことが原因でした。
これを読売ジャイアンツは「ドラフト会議前日の段階で、江川選手は交渉期限が切れており、自由に交渉ができる」と判断して獲得に乗り出したのです。
この一件で、当時のドラフト会議の対象となる選手が「社会人及び日本の中学、高校、大学のいずれかに在学している選手」と限定されていたことが最大の盲点だったということが明るみに出ました。
この時江川選手は、卒業後に社会人野球に行かなかったこともあって、規約の文章の上では完全にドラフト対象外となっていたのでした。
これを認めてしまうとドラフト制度そのものが成り立たなくなってしまうこともあり、セントラル・リーグはこの契約を無効と判断します。
しかし、読売ジャイアンツ側はこれに猛反発し、その後も騒動は続くことになってしまうのです。
こういった事件を受けて、制度は一新されることになりました。複数の球団に指名された選手はくじ引きによって決めるという現在の形となったのです。
また、現在では日本の学校に在学したことのある新人選手の獲得は、ドラフト会議を経ないと絶対に認められないというルールとなりました。
よって、枠外などのルートからではプロ野球球団には入団できなくなったのです。
ドラフト会議の仕組み
そんなドラフト会議は具体的にはどういった仕組みになっているのでしょうか?実は、使命出来る選手にはいくつかのルールや制限が存在しています。
具体的には、日本国籍を持っている、あるいは日本の中学、高校とこれに準ずる学校。大学、もしくはそれに準ずる団体のどれかに在学した経験をもつ選手に限定しているのです。
日本の学校にまだ在学中の場合だと、ドラフト会議の翌年3月に卒業する見込みであるか、大学の場合は4年間在学している選手であることが条件となってきます。
また、新人を発掘する会議でもあるため、一度でもプロ野球選手として入団したことがない選手に限定されています。
また、該当するドラフト開催年度の4月1日以降に退学した選手や、所属する連盟にプロ志望届を提出していない学生などを指名することもできません。
あくまで本人がプロに行きたい意思を示した選手のみ、球団が指名することができるのです。
プロ野球のドラフト会議は、他のドラフト会議と比べて仕組みが少々複雑になっています。
というのも、会議当日に球団が志願者リストから選手を順番に選択していくのですが、1巡目とそれ以降によってシステムが異なるからです。
1巡目は入札抽選と呼ばれていて、全ての球団が欲しい選手を指名します。
もしもその時に被りが出た場合は抽選になり、くじ引きで当たりを引くことが出来た球団が、選んだ選手との交渉権を獲得することができ、契約に進むことができるようになるのです。
ちなみにここで抽選に外れて交渉権を得られなかった球団は、再度希望する選手を選択しなければならないのですが、ここでもさらに残った球団と希望選手が被ってしまうことがあります。
その場合は再度抽選になり、外れた球団はさらに違う指名選手を選びます。これが、交渉権を得られるまで続くのです。
ドラフト会議のウェーバー制って?
熾烈な1巡目が終わると、次は2巡目の使命になります。ここからはウェーバー制へとシステムが変わるのですが、このシステムがまた独特なものとなっているのです。
ウェーバー制とは、簡単に言ってしまうと最下位球団から順に選手を指名できるシステムのことです。
つまり、前シーズンの戦績と交流戦の順位が低かった球団から、欲しい選手の指名ができるのです。
例えばセ・リーグで広島が最下位、パ・リーグでオリックスが最下位、交流戦でパ・リーグの戦績が良かったとしましょう。
その場合、リーグの戦績が悪く、さらに最下位だったセ・リーグの広島から指名が可能になります。
広島、オリックス、セ・リーグの下から二番目の順位のチーム、パ・リーグで下から二番目の順位のチーム、という順で指名が回っていくことになるのです。
さらに次の3巡目になると、今度は逆ウェーバー制が適用されることになります。
優勝した球団から順に選手を指名していき、以降はウェーバー制と逆ウェーバー制と各制度を交互に繰り返して選手を選んでいくのです。
ちなみにそれぞれの球団の指名人数は最大10名となっていて、さらにドラフト会議全体では120名までと決められています。
もしもすべての球団が指名を終えてまだ120名の枠に余裕があった場合、育成選手選択会議が行われることになります。
それぞれの球団が、支配下登録ではない育成選手という形で、欲しいと思う選手を指名することができるのです。
まとめ
ドラフト会議というものは長い時間をかけて、少しずつ制度が変遷しています(例えば、1993年には有力な選手が希望球団に入団できるようにと“逆指名制度”が導入され、特定の選手のみ自分が入りたい球団を逆指名することが可能になっていましたが、今はその制度は2006年に撤廃されています)。
ひょっとしたらこれから先も、より平等なシステムを追及してドラフト会議の仕組みも変わっていくのかもしれません。
より長くプロ野球の世界を盛り上げるため、洗練されてきたドラフト会議。
これからもたくさんの有望な選手がここからから羽ばたいていくと考えると、目が離せないという人は多いのではないでしょうか。
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