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【スポーツカメラマン】有名人一覧|各カメラマンの特徴もご紹介!

私たちに大きな感動を与えてくれるスポーツ。
会場での応援、テレビでの観戦はもちろんですが、ときには一瞬を切り取った写真が、動画以上の感動を与えてくれることもあります。
近年では、2022FIFAワールドカップの日本×スペイン戦。
試合の展開以上に「三苫の1mm」の写真を覚えている方も多いのではないでしょうか。
その写真を撮影し、世界に感動を伝えてくれるのがスポーツカメラマンです。
今回は、日本と世界の有名スポーツカメラマンをご紹介します。

【スポーツカメラマン】有名人一覧

スポーツカメラマンは、スポーツに関連する写真を撮る職業。
新聞や雑誌、ウェブメディアなどの企業に勤める社員カメラマンと、独自に活動するフリーカメラマンの2種類に分けられ、どちらも主にスポーツの大会や試合などで撮影をします。
では有名なカメラマンにはどのような人がいるのでしょうか。

ペトル・ダビド・ヨセク

いきなりですが、ペトル・ダビド・ヨセク氏はスポーツカメラマンとしてはほぼ無名だった人物。
ところが2022年、突然世界的な有名人になりました。
その理由が、「三苫の1mm」。
あの奇跡の瞬間を、ほぼ真上から撮影したのがヨセク氏なのです。
ヨセク氏はAP通信に所属するカメラマン。AP通信はさまざまなジャンルを扱っているため、ヨセク氏は政治や事件などの撮影も行っています。ただしスポーツは得意ジャンルの一つ。ワールドカップは2006年ドイツ大会から、オリンピックも2008年北京大会から撮影しています。
そのヨセク氏が、ドローンから撮ったようなあの写真をいったいどうやって撮影したのでしょうか。
AP通信のチームは1試合あたり最低5人のチームで撮影を行います。4人はピッチ上のそれぞれのコーナー、そしてもう1人は別の角度から撮影。その別角度として選ばれたのが、ハリファスタジアムのキャットウォークというエリアでした。
キャットウォークはスタジアムの天井から吊り下がった作業用の通路。高さは50m近く、幅は1.5mしかない足場です。
ゴール真上のポジションが両サイドにありますが、カメラマンとしてはロイター、AFP、ゲッティイメージズ、APの4社だけが上がれるエリア。
スペイン1点リードで迎えた後半、ヨセク氏はスペインの追加点を撮影するために日本ゴール上に移動する選択肢もありましたが、日本の逆転を信じてスペイン側ゴール上を選択しました。
その結果、見事にあの写真を撮影できたのです。

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ジュリアーノ・ベヴィラクア

ジュリアーノ・ベヴィラクア氏も世界的に知られる1枚で有名になった人物。
その写真は、マラドーナの「神の手ゴール」です。
1986年FIFAワールドカップ準々決勝のアルゼンチン対イングランド戦。0対0の後半6分にアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナが浮き球をゴールへと流し込み、先制点を奪います。イングランドはマラドーナのハンドを猛アピール。しかしヘディングと判断され、先制点が認められました。
当時の中継の荒れた映像では確認は困難。しかし試合後にその瞬間を正面から撮った写真が登場し、遅ればせながらハンドの決定的証拠となったのです。
その写真を撮ったのがベヴィラクア氏。デジカメ全盛の現在ならそれで判定が覆る可能性もある写真ですが、フィルムの時代、彼も現像するまではそれほど重要な瞬間が撮れていると思わなかったそうです。
このジュリアーノ・ベヴィラクア氏は伝説的なスポーツカメラマン。オリンピックの初仕事は1964年の東京オリンピックで、なんと2021年の東京オリンピックにも現役カメラマンとして参加しています。

水谷章人

水谷章人氏はスポーツ界のスーパースターを500人以上撮影している、日本のスポーツカメラマンの第一人者
1976年に日本初のスポーツ写真集と言われる「極限の肖像」を出版した彼は、現在も活躍中。
日本スポーツプレス協会日本スポーツ写真協会も設立し、スポーツ写真の発展に努めてきました。
さらに若手スポーツ写真家の育成を目的とした「水谷塾」の塾長としても精力的に活動。100名以上の卒業生の多くが一流のプロとして活動しています。

山田一仁

山田一仁氏は、日本人でただ一人、個人でイングランドのプレミアリーグの撮影ライセンスを付与されている人物。
プレミアリーグだけでなくワールドカップを9大会連続で撮影、チャンピオンズリーグ決勝は24年連続で撮影し、写真界のレジェンドと呼ばれています。
1981年に文藝春秋に入社した彼は、1984年のロサンゼルス五輪をきっかけにスポーツ写真で世界と勝負することを決意。1989年に退社してイギリスに渡り、徐々にスポーツ界に足場を築いていきました。
そして2年近くかけて2000年に「プレミアリーグフォトグラファーズライセンス」を取得。
最初は撮影ポジションを取るための序列も下位で苦労しましたが、今ではヨーロッパのサッカー関係者から「KAZ(カズ)」と呼ばれ慕われる存在になっています。

青木紘二

浅田真央さんの演技終了の涙など、多くの人がオリンピック関連の彼の作品を目にしたことがあるはずなのが、青木紘二氏。
スイスと日本でプロのスキー教師を5年間経験した彼は、1976年からカメラマンの仕事を始め、語学力を生かしてスポーツを中心に撮影を行ってきました。
そして1998年長野オリンピック以降は、日本オリンピック委員会公式記録の撮影チームリーダーに就任。
夏冬合わせて18回のオリンピックを撮影し、東京2020大会ではフォトアドバイザーも務めました。

まとめ

動かない画像にハッとさせられることがあるスポーツ写真。
その撮影の背景には、容易に想像もできない苦労があります。
スポーツ写真を眺めるとき、ファインダーの裏側にいるスポーツカメラマンの姿も想像すると、さらに楽しみが広がるかもしれません。

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おおぱ!

おおぱ!

寝ても覚めてもスポーツ漬け

スポーツ一家に育ち、休日はテニスとランニング。空き時間はほぼスポーツ観戦。夢の中ではなぜかやたらといろいろなスポーツのプロ選手になっている夢中派執筆家です。皆さまにスポーツ愛を届けます!

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