日本の陸上界を盛り上げてきたリオ五輪銀メダリストの飯塚翔太選手にインタビュー。
陸上を始めたきっかけや学生時代の家族のサポートについて、また陸上を頑張るこども達へのアドバイスなど伺いました。
実は飯塚選手と私は地元が同じで当時近所に住んでおり、小学生の時は同じ登校班(近所の子供たちが集まって小学校に登下校する班)でした。私が小学1年生の時に飯塚選手は4年生。
毎朝私たち低学年のお世話をしながら安全に小学校まで連れていってくれた明るく優しいお兄さんでした。小学生の時から足が速く、運動会ではいつも保護者を騒めかせるほどの速さ。
学生時代に全国大会に出場するなど有名になってからも、地元の地区大会に出場してはギャラリーをわかせていた記憶があります。
実力はもちろん、自然体な人柄でたくさんの人から愛されている“飯塚選手らしさ”も合わせてお楽しみください!
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【陸上選手の生活とは?】学生時代から現在を振り返る|飯塚翔太
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【将来の夢はマスターズ出場】陸上界を盛り上げたい!飯塚翔太
【飯塚翔太(いいづかしょうた) / リオ五輪銀メダリスト】
1991年6月25日生まれ。静岡県出身。藤枝明誠高校から中央大学へ進学し、現在はミズノ所属。和製ボルトの愛称で親しまれている。
これまで五輪は3回、世界陸上は4回出場しており、2016年のリオ五輪では4×100mRの銀メダル獲得に貢献した。現在も日本のトップ選手として活躍を続けている。
インタビュアー・文:高須啓睦
始めたきっかけは“スカウト”
スポーツを始めるきっかけは「兄弟や家族の影響」、「地元にクラブチームがあったから」、「友達がやっていたから」など選手それぞれ。飯塚選手は4人兄弟の上から2番目。兄弟全員が陸上経験者のためてっきり家族の影響かと思いきや、まさかのスカウトが原点だった!?
―――陸上を始めたきっかけを教えてください
飯塚翔太
陸上を始めたきっかけは小学校3年の時に学校で申し込んだ地区の小さな試合。小学校で配られるお便りの中に地区大会の申込書があって、足が速かったから出たいって思って申し込みして。
50メートル走に出て優勝したら、陸上クラブの監督から声をかけていただいて。それが最初!
―――恩田さん?(陸上クラブの当時の監督)
飯塚翔太
そう、恩田さん!「まずは体験でどう?」って言われたんだけど、その時は陸上に全然興味がなかったんだよね。とりあえず申し訳ないから1回見学に行くって言って、練習に行ったらそこからハマっちゃった(笑)
―――陸上のどんなところにハマったの?
飯塚翔太
競走することがとにかく楽しかった!陸上クラブに入った時僕は3年生だったんだけど、当時の6年生がすごく強くて、負けたのが悔しかった。それまでは上の学年の人と走ることがなかったから、一緒に走るのがすごく楽しかったんだよね。
―――学生時代は自分自身のことどんな選手だったと思う?
飯塚翔太
基本的に全部負けず嫌いで、でもあまりそれを表に出さなくて陰で泣いてるようなそんなやつだった(笑)小学生の時も中学生の時も。
あとは研究するのが好きで、親が全部試合のビデオを撮っていてくれたんだけど、それを家でずっと見て研究してたね。
自分の走りだけじゃなくて、中学1年生の時は中学3年生のチャンピオンの動画を研究してみたり、常に誰かの動きを見て真似をしたりそんな感じの選手だった。
自分で決める権利をもらえたから長続きしていると思う
個人競技がメインとなる陸上は、部活やクラブ活動以外でも自主練習や研究が直接結果に繋がりやすいスポーツ。
そのため、家族のサポートも力に繋がりやすいスポーツです。飯塚選手の家族はどのようにサポートしていたのでしょうか。
―――試合のビデオを撮影してもらっていたという話があったけど、学生時代の家族のサポートはどんな感じだった?
飯塚翔太
レースのビデオは全部撮ってくれていたね。父親は常に分析したりノートを取ったり、記録の推移を記録したりしてくれていた。
今後の予測とかもあったよ(笑)小学6年生で100m走のタイムが12秒67だったから、中学1年生ではこのぐらいのタイム、中学2年生の時はこのぐらいっていうグラフをダーーーっと立てていたり、他にもライバル選手の情報も詳しく分析されていたり。
――――お母さんはどうだった?
飯塚翔太
どっちかっていうと陰で支えてくれていたって感じ。だから良いバランスが取れていたんじゃないかなあ。
父親はとにかく熱心で、母親も熱心で応援してくれていたけど、熱量のバランスがいい感じに取れていたんだと思う。結果に対しては何も言ってこなかったね。
―――御前崎市(飯塚選手の出身地)だと電車もないし、練習や試合に行くのも車で送ってもらうことになるよね。
飯塚翔太
そう。親は毎回、全部車で行ってくれたね。応援も全部来てくれて。今も両親は基本的にほとんど、試合は応援に来てくれる。オリンピックも来てくれたし、すごく応援してくれている。
―――幼少期の親の支えって、今の結果や成長にどう影響していると思う?
飯塚翔太
親が出すぎる選手は結構大変だと思うんだけど、うちはどっちかっていうと親は熱心だったけど、全部決めるのは自分だったんだよね。自分で「この試合に出たい」とか。自分で決める権利をもらえたから、陸上が長続きしていると思う。自分で決めるって“諦めないきっかけ”にもなるし。
試合でも、親がウォームアップエリアとか競技場にズカズカ入ってくることもなかったなあ。全部試合が終わってから会ったりしていて。親の“陰で支えてくれている感じ”が僕の中ではすごい理想の形。
子供に「なんで負けたの」とか親が熱くなり過ぎると、やっぱり潰れちゃう子が周りでは多かった印象がある。「全部自分で決断させる」っていう部分は親もこだわっていたよ。
―――両親の存在はすごい支えになっている?
飯塚翔太
それはすごい思う。結果に対してよかった時は「まだまだこれからだし」っていうのは言うけど、悪かった時に何も言ってこない。子供の頃に結果出ない時に怒られると頑張ってきたことを否定されるような感じがするじゃん。そういうのがなかったのはよかったのかなって思う。
緊張は受け入れて“ほぐさない”
これまでオリンピックや世界陸上を始め、数々の試合に出場してきた飯塚選手。印象に残っているレースは?走っているときにどんなことを考えているの?緊張しているときは?など、素朴な疑問に答えてくれました。
―――今までで一番印象に残ってるレースをあげるとしたら?
飯塚翔太
どれだろうな。ロンドンオリンピックの4継(100×400mリレー)の予選!
僕は初めてのオリンピックで個人種目は予選落ちしちゃったんだけど、ほかのリレーメンバーはみんな準決勝に進んでいたりして。僕だけ結果残していないうえにアンカー(4走)で、しかも1、2、3走とすごいいい位置につけてきたからもうすごい追い込まれた(笑)
何も考えられなくて真っ白で、もう超必死に、動物に追いかけられてる様な気持ちで走ったら今までで一番早かったんだよね!(笑)すごい印象的だった。
―――走ってる時は何か考えたりするの?
飯塚翔太
100m走は何も考えてないけど、200m走は動きのリズムを考えて走ってる。足と手のタイミングを合わせて走る感じ。200m走って全力で走らないから、スタートからゴールまで一個だけ考えるようにしてる。
二個以上、例えばスタートはこうやって走って、身体が起き上がったらこうやって・・・って考えるとわからなくなっちゃうから一つだけ、俺は「足のタイミングを合わせていこう」っていうことをいつもスタートからずっと考えているね。それがポーンって飛んじゃった時は動きが変になっちゃう。
―――大切なレースの前、自分の気持ちをベストの状態に持っていくためにやっていることはある?
飯塚翔太
僕は結構、レース直前に気持ちを盛り上げるタイプ!だからなんだろう、本番前にレースの映像を見るとかはしないかな。あえて何もしない。
盛り上がる時は勝手に盛り上がる(笑)でも意外と盛り上がっても盛り上がらなくても結果に直接影響が出るわけじゃないんだよね。「今から試合やるんだ」みたいな時でも記録が出る時もあるから、流れに身を任せている。
緊張も同じで、緊張してる時に無理にほぐそうとせず、「あ~緊張してるな俺」って割り切ってるね。緊張しない、させない、ほぐさないといけないとか、何かしないといけないっていうことを考える時点で結構パワーを使うから、もう何も考えない。疲れちゃうから。
陸上を頑張っているこども達にアドバイス!
飯塚翔太
陸上は一人ひとり“走り”も“タイム”も“練習内容”もバラバラです。自分で自分に合った練習や走り方を探さなきゃいけない。だから大切なのはまず自分の走りを知ることだと思います。
僕もずっと、子供の頃からビデオを撮ってもらい自分の走りを研究してきました。そして自分だけでなくいろんな人の走りも見てきました。研究しているうちに「あの人に走り方が似てるな」とか「あの人の動きやってみようかな」とかそういう発見があるので、自分を知ったうえで挑戦してみることが成長に繋がると思います。
チームメートの動きを見てもいいし、YouTubeを見てもいいし、とにかく色々やってみる。これは小学生でも中学生でも高校生でも、すぐにできることなのでぜひやってみてほしいです!
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