元旦にスタートする競技といえば、駅伝ではないでしょうか?
テレビでも大々的に中継されるため、ニューイヤー駅伝を見たことがあるという方は多いと思います。
ただ、なぜ群馬で開催されているのでしょうか?他にも候補地はなかったのか、よく考えると疑問に思ってしまいますよね。
そこで、今回の記事では「ニューイヤー駅伝はなぜ群馬で開催されるのか」という疑問点について言及していきましょう。
過去の開催地についてもご紹介するので、「駅伝が好き!」という方はぜひ最後まで読んでみてくださいね。
ニューイヤー駅伝とは?
全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)は、1957年から始まった駅伝です。けっこう長い歴史がありますよね。
開催地が群馬県に変更されたのは1988年。TBSによってテレビ中継されるようになったと同時に開催日も元旦へと変更されました。
1月2日、3日に行われるのは箱根駅伝ですので、混同しないようにしましょう。つまり、3日間に渡って行われる駅伝の大会には実は2種類あるということです。
駅伝が好きな方にとっては見逃せない3日間になることでしょう。
なぜ群馬で開催されるの?
先ほども触れましたが、開催地がなぜ群馬に変更されたのでしょうか?しかも、テレビで中継され始めたことによって注目され、今では元旦の定番として親しまれています。
ここではニューイヤー駅伝がなぜ群馬で開催されるのか、理由を3つ詳しく見ていきましょう。
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理由①赤城山エリア1箇所だけでコース全体の電波をひろえるから
大きな理由として、「駅伝のコース全体の電波をひろえるから」というものがあります。
駅伝のコースは群馬県庁からスタートし、主要都市の前橋市・高崎市・伊勢崎市・太田市・桐生市を1周する7区間から構成された100km。
赤城山エリアに電波を設置することによって、最低限の予算で全区間の中継が可能になります。それほどの広範囲を赤城山エリアの1箇所だけでおぎなえたということです。
電波を複数設置するとその分莫大な資金がかかってしまうので、群馬県の赤城山エリアを駅伝コースとして設定するのは最大のメリットであると言えるでしょう。
理由②群馬県が誘致に前向きだったから
2つ目の理由として挙げられるのは、「群馬県がニューイヤー駅伝の開催に前向きだったから」。
開催が決定した背景には、元内閣総理大臣である中曽根康弘氏の息子、中曽根弘文氏が尽力したと言われています。
彼の地元である群馬でニューイヤー駅伝の開催を熱望した結果、開催が現実となりました。
100kmもの広範囲を駅伝のコースにするわけなので、交通規制をかけたり整備したりなど、地域の協力が必要不可欠ですよね。
その点において、群馬は県を挙げて全面的な協力姿勢を見せたため、1988年にニューイヤー駅伝の開催が群馬に決定しました。
理由③天候条件が適切だったから
最後の理由は、「群馬の天候条件が最適だったから」だと言われています。
元旦に開催されるということは、雪が降る地域や気温が氷点下になる地域では開催が難しいですよね。
群馬は比較的温暖な気候であり、雪や気温の心配はないということになります。そのため、群馬で開催するのは天候条件的にも適切だったと言えますね。
今までの開催地はどこ?
1957年から続くニューイヤー駅伝ですが、1988年の第32回から現在に至るまで群馬で開催されています。それ以前の開催地は一体どこだったのでしょうか?
ここでは今までの開催地についてもご紹介していきましょう!
三重県(第1〜30回)
第1〜30回の開催地は三重県です。伊勢市にある伊勢神宮が発着のコースとして設定されていました。
伊勢神宮をスタートしてから賢島を折り返し地点とし、全7区間で構成された83.5kmでした。
しかし、1970年の第15回から伊勢神宮を循環するコースも追加した99kmに変更し、現在の100kmに近い距離になりました。
三重県では第30回の1985年まで開催され、現在のニューイヤー駅伝の基盤を作ったとも言えますね。
滋賀県(第31回)
第31回の1986年、滋賀県で開催されましたが、なぜ開催地が変わったのでしょうか?
理由は「大きい陸上の大会は、1都市につき年1回の開催にする」という決まりができたためでした。
1970年から開催されている全日本大学駅伝のコースと開催地がかぶってしまったことを理由に、決まりに従う形で滋賀県での開催を決定しました。
コースは彦根市周辺の84.4km。1番最初に設定されていた三重県のコース83.5kmに近い距離となりました。
しかし、コースとして設定した道路が狭すぎたため、運営が思うようにできなかったと言われており、1986年の1年のみの開催でした。
まとめ
今回の記事ではニューイヤー駅伝がなぜ群馬で開催されているのかについて、その理由をまとめましたが、いかがだったでしょうか?
開催地が変更されて現在の群馬になったことから、歴史ある大会だったことが分かると思います。
1945年の戦後から第1回の開催まで12年しか経っていないことも合わせて考えると、駅伝を通して日本を活気づけようという気持ちがあったようにも思えますね。
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