日本では今でも人気のあるスポーツとしてファンから愛されている野球ですが、その中でスイッチヒッターという言葉を聞いたことのある方も多いことでしょう。
スイッチヒッター(switch hitter)とは、打撃の際に、相手投手によって左右両方の打席を使い分けてバッティングを行う選手のことを指します。
この記事では、スイッチヒッターのメリットと歴史、また歴代の名スイッチヒッターについて解説します。
スイッチヒッターのメリットとは?
野球では、一般的に投手の利き腕に対して反対側の打席に立つ、具体的には右投手の場合は左打席に、また逆に左投手に対しては右打席に立って打ったほうが有利といわれています。
その主な理由は、投手が投げる際にリリースポイントが見やすく、打つのが簡単でないカーブやスライダーといった変化球が投げにくい、また、投手の投げた球が直接体に向かってこないので恐怖感がなく、安心してボールを見極められる、などのメリットとして挙げられています。
なお、スイッチヒッターといえば野球の打者のことを思い浮かべますが、ボクシングで右構えと左構えの両方で自在に戦う選手、例えば名ボクサーのマービン・ハグラーやナジーム・ハメドなどもスイッチヒッターと呼ばれることがあります。
スイッチヒッター誕生の経緯と歴史
スイッチヒッターの優位性は、野球発祥の地であるアメリカでも古くから認識されていました。
実際にアメリカでは、左右両打席で打つ試みを19世紀頃から実際に行われていたようです。
記録に残っている最初のスイッチヒッターは、1871年から1874年にかけてニューヨーク・ミューチュアルズなどでプレーしたボブ・ファーガソンといわれています。
その後、相手が右投手の時は左打者中心、また左投手の時は右打者中心の打線を組むプラトーン・システムを積極的に取り入れるチームが増加し、またルールによってベンチ入りできる選手の人数が限られているため、ベンチ入りした選手を有効活用する目的としてもスイッチヒッターが重用されるようになりました。
これに伴って、出場機会を増やすためにスイッチヒッターに取り組む選手が徐々に増えていきました。
そして、米国メジャーリーグ(MLB)の伝説的な名選手で、1950年代から60年代にスイッチヒッターとして大活躍した強打者ミッキー・マントル選手がヤンキースのスター選手として君臨した影響から、それ以降はパワーヒッターでもスイッチヒッターに転向する選手が増えました。
1940年代から徐々に増えていったスイッチヒッターは、こうした経緯を辿(たど)って、最盛期の1990年代前半にはMLB全選手中で20%近くに達しましたが、現在では減少傾向にあるようです。
日本でのスイッチヒッターの歴史は
NPBでスイッチヒッターの存在を広く認知させたのは、V9巨人軍時代の「核弾頭」柴田勲外野手だといわれています。
柴田選手は高校時代(法政二高)投手として甲子園で大活躍、優勝を勝ち取り、鳴り物入りで巨人に入団しました。
ところが当時の川上監督は柴田選手の走力・打力・野球センスに惚れ込み、戦術のバイブルとして取り入れていたMLB「ドジャースの戦法」にある機動力や小技を体現する、ドジャースのスイッチヒッター・モーリー・ウィルスのような核弾頭にふさわしい選手として育てたいと考え、スイッチヒッターに転向させたといわれています。
柴田選手の影響もあり、NPBでは1970年代から徐々にスイッチヒッターは増えていきましたが、日本のスイッチヒッターの特徴としては、足が速くて長打力の無い右打ちの選手が、一塁に近く出塁に有利とされる左打ちをするためにスイッチヒッターに転向するケースが多く、パワーヒッターがスイッチヒッターに挑戦するケースは多くありませんでした。
また、NPBでもMLB同様、1980年代から1990年代前半に増えたスイッチヒッターは減少傾向にあります。
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NPBにおける歴代名スイッチヒッターとは?
最近ではあまり活躍を見かけなくなったスイッチヒッターですが、それでもNPBでは歴代の名スイッチヒッターが数多く活躍しました。
記憶に残る名スイッチヒッターについて、主に活躍した年代順にみていきましょう。
柴田勲選手(実働期間:1962~81年/元巨人)
前述のとおり、NPBにおけるスイッチヒッターのパイオニアです。
スイッチヒッターとして初の2000本安打を達成し、「赤い手袋」の愛称で塁間を颯爽(さっそう)と駆け巡り、盗塁王もあの「世界の福本」こと福本豊選手の13回に次ぐ6回獲得しています。
高橋慶彦選手(実働期間:1976~92年/元広島ほか)
俊足巧打の遊撃手として広島カープの黄金時代を支え、日本人スイッチヒッターで初のシーズン打率3割を記録しています。
また、33試合連続安打の日本記録は40年経った今でも破られていません。
同じチームの後輩で、スイッチヒッターとして成功した山崎隆造選手や正田耕三選手の模範ともなりました。
元々は右打ちでしたが、足を活かすために取り組んだ左打席での猛練習は伝説となっています。
オレステス・デストラーデ選手(実働期間:1987~95年/元西武ほか)
NPBでは非常に珍しい、パワーヒッターでありながらのスイッチヒッターとして、西武黄金期に「3番秋山・4番清原・5番デストラーデ」の最強クリーンアップの一角としてチームを支えました。
日本に在籍した短期間で本塁打王を3回、打点王を2回獲得しています。
松永浩美選手(実働期間:1981~97年/元オリックスほか)
短打だけでなく長打も打て、打率は高く足も速く、守備も上手い、まさに万能型スイッチヒッターの代表格で、「NPB史上最高のスイッチヒッター」とも称されています。
盗塁王(1985年)に加え、ベストナイン5回、ゴールデングラブ4回のほか、シーズン最多二塁打3回、最多三塁打2回など、万能を裏づける成績を残しました。
松井稼頭央選手(実働期間:1995~2018年/元西武ほか)
西武の名ショートとして活躍し、トリプルスリー(打率3割・30本塁打・30盗塁)を達成した後にはMLBに挑戦し、そこでも活躍しました。
日米通算の安打は2705本を数え、MVP1回(1998年)盗塁王3回、最多安打2回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ4回など、素晴らしい実績を残しています。
まとめ
野球におけるスイッチヒッターの意味とメリットや歴史、そしてNPBでの歴代名スイッチヒッターについて解説しました。
最近スイッチヒッターが減っている大きな理由として、素質のある少年は幼いうちに左打者に専念する傾向が挙げられています。
スイッチヒッターの活躍を楽しみにしているファンとしてはやや寂しい傾向ですが、またスイッチヒッターのメリットを活かして活躍する選手が現われることと期待したいものです。
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