スポーツジムのフィットネストレーナーや、高齢者の方の機能低下予防をサポートするメディカルトレーナーなど、さまざまな種類があるスポーツトレーナーの仕事。
その一方で、世界的なプロアスリートをサポートする有名スポーツトレーナーも大勢います。
今回は、スポーツトレーナーの有名人について調査。
日本を代表する各トレーナーの特徴もご紹介します。
【スポーツトレーナー】歴史
そもそもスポーツトレーナーは、明確な資格ができる以前は、鍼灸師や柔道整復師、マッサージ師などの資格をもった人が選手の体のケアをしたのが始まり。1932年のロサンゼルスオリンピックには早くもスポーツトレーナーと言える役割の人が同行しています。
とはいえ当時はマッサージが主な仕事。1964年の東京オリンピックの際にはスポーツトレーナーが集められて講習会も行われましたが、ここでも講習の中心はマッサージでした。
それが大きく変わったのは1970年代。アメリカのアスレティックトレーナー制度が日本に紹介されて、現在のようなスポーツトレーナーが注目されるようになってきたのです。
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【スポーツトレーナー】有名人一覧
まだ歴史が浅いとも言えるスポーツトレーナーという職業。
日本の有名な人物にはどのような方がいるのでしょうか。
魚住廣信
魚住廣信(うおずみひろのぶ)氏は日本のスポーツトレーナーの礎を築いた人物。
1974年に大阪体育大学を卒業後、阪神タイガースのコンディショニングアドバイザー、三洋電機女子バスケットボールチームのコンディショニングスタッフ、ワコール女子陸上競技部のトータルコーディネーターなど、多くの選手・チームのコンディショニング指導やアドバイザーを務めてきました。
その後は平成スポーツトレーナー専門学校の校長を務めた彼は著書も数多く、現在はH.S.S.R.プログラムスの主宰を務めています。
川島英夫
川島英夫(かわしまひでお)氏は、野球日本代表チームのトレーナーとして名を馳せた人物。
主に野球のスポーツトレーナーの質と地位の向上に貢献してきました。
大学4年生の春に肘を故障して選手の道を断念。スポーツトレーナーを志した彼は、巨人軍のトレーナーであった井上龍男氏に師事。1979年にメジャー・トレーナーズを開業後、野球日本代表チームなどを支えてきました。
1984年にはロス五輪の野球日本代表チームトレーナーとして、金メダル獲得にも貢献しています。
木場克己
木場克己(こばかつみ)氏は、体幹トレーニングの第一人者。
柔道とレスリングの選手だった彼はケガで引退後、スポーツ障害のある選手と出会ったことがきっかけでスポーツトレーナーを目指しました。
柔道整復師、鍼灸師、健康運動指導士、日本体育協会アスレティックトレーナーなど数多くの資格を持つ彼の指導対象は、陸上、水泳、サッカーなどさまざま。
FC東京のヘッドトレーナーや横浜FCのアドバイザー、湘南ベルマーレのアドバイザーなどを歴任したほか、池江璃花子選手や長友佑都選手、浅尾美和選手、三宅宏美選手など数多くの一流選手が彼のKOBA式体幹バランストレーニングに取り組んでいます。
森本貴義
森本貴義(もりもとたかよし)氏は、イチロー選手を支え続けたトレーナー。
彼も高校まで陸上競技の選手として活躍し、オリンピック選手を目指したものの、ケガや故障が多かったことから関西鍼灸大学に進学しました。
そこで鍼やマッサージを身につけた森本氏は1997年から2001年までオリックス・ブルーウェーブのトレーナーを務め、2004年にはシアトル・マリナーズのアシスタント・アスレティックトレーナーに就任。13年間もイチロー選手のパフォーマンスを支えてきました。
現在はスポーツトレーナーの地位向上や若いトレーナーの育成を手がけるほか、ゴルフの宮里優作プロのトレーナーも担当しています。
中村豊
中村豊(なかむらゆたか)氏は、テニスの世界一だったマリア・シャラポワ選手や大坂なおみ選手のフィジカルの強さを支えてきた人物。
世界最高の環境でテニスがしたいと18歳のときに渡米し、サドルブルックアカデミーにテニス留学した彼は、そこでテニスのトレーナーとして頭角を現していた元陸上オリンピック選手のエッチェベリー氏と出会い、フィジカルトレーナーを目指しました。
モチベーションも含めた心技体の健康を支えるのが彼のスタイル。
シャラポワ選手や大坂なおみ選手は、一度不調に陥った後、彼のサポートで見事復活し、グランドスラム優勝を勝ち取っています。
遠藤友則
遠藤友則(えんどうとものり)氏は、1999年から2015年まで、世界を代表するビッグクラブであるACミランのメディカルトレーナーを務めた人物。
高校時代から将来を期待されたサッカー選手でしたが、高校3年生の国体で靭帯断裂を経験し、トレーナーの道へ進みました。
Jリーグ創設と同時に清水エスパルスのヘッドトレーナーとなり、7年後にはACミラン育成チームのトレーナーに。当初は1年間の予定でしたが、3年目にはトップチームのメディカルトレーナーになり、一流選手たちの治療やリハビリ、リカバリーを行ってきました。
彼は日本人の繊細さが強みになったと語っています。
まとめ
世界で活躍している人もいる日本人スポーツトレーナー。
その多くが自分もスポーツ選手としてプロを目指し、挫折した経験を持っているのは興味深い共通点です。
やはり自分も一流のスポーツ選手だったからこそ、トップレベルの選手の心身の悩みが理解できるのかもしれません。
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