サッカーの本質とは何か。欧州や南米などのサッカー先進国で言われていることだけが全てではなく、僕ら日本人なりに、そして自分なりに、違う見方や考え方もできるのではないか。
そう思ったことをきっかけに、ここ数年はずっと「サッカーの本質」を自分なりに模索しながら探してきました。
現場で実際に指導しながらだったり、サッカーというスポーツの成り立ち、原理、歴史、そして日本の歴史や文化、国民性、日本語とサッカーの親和性⋯などから辿り着いた現時点での結論を、今回のシリーズとしてまとめてみました。
そして要約した答えが
「サッカーは、人と人が、人と人の間で、ボールを介して行うものである」
ということです。
ここをさらに噛み砕き、過去2回のコラムでは
「サッカーは、味方との関わりの中で行うものである」
「サッカーは、相手との関わりの中で行うものである」
と書きました。
【くぼっちコラム 前々回、前回のコラムこちら】⇩
・サッカーの本質を探る旅・2【くぼっちコラム】
・サッカーの本質を探る旅・3【くぼっちコラム】
それらの前提がある中で、今回は「サッカーは、状況との関わりの中で行うものである」という見方で、話を進めていきたいと思います。
サッカーとは、状況との関わりの中で行うものである
サッカーは味方と繋がりながら、相手との関わりの中で行うもの。これが、前回までの話の流れです。
ピッチ上には味方と相手がいて、11人制の試合であれば選手は計22人。その22人の選手が一つのボールを介してゴールを目指し、ボールと陣地を奪い合い、前進したり後退しながら、ゲームは進みます。
当然ピッチの状況は目まぐるしく変わり続けるから、自分がやるべきことも、その時々によって変わってくるわけです。
ドリブルが得意な選手だったとしても、味方が「今しかない!」というタイミングで走り相手の裏を取ってくれたのならば、その瞬間を逃さずにパスを出したほうがいい。
でもその時に「俺はドリブルをしたいねん」と、味方の動きを無視してボールを持ち続けていたら、きっと彼は次の試合からは使われません。
サッカーは味方と繋がりながら行うもの。その味方が、相手を置き去りにして最高の状況を創り出した。それを無視してまで自我を押し通すということは、その選手は「サッカーは味方との関わりの中で行うもの」という大原則を理解していない、ということになります。
攻撃でも、守備でも同じこと。
サッカーは自由なスポーツと言われるけれど、味方や相手との関わりの中で「今こうなった」この状況を無視してまで自分のやりたいことだけを押し通すとしたならば、それはもう自由と呼べるものではなく、単なるわがままということになってしまいますね。
先に結論を書いてしまいますが
「今、この状況だとしてもそんなの関係ない」これでは、もうサッカーになりません。
「今、この状況ならばこうしなければいけない」でもない。そこに自由はないですよね。
「今、この状況ならばこうしたほうがいい」これです。
その時々の「状況」に応じて、各自が「こうしたほうがいい」と判断して実行する。
MUSTではなく、その状況におけるBESTを模索する。
サッカーにおける自由とは、そういうことだと思うのです。
つまり選手が自由にプレーできる条件は、状況に応じてプレーすること、です。
サッカーにおける「状況」とは何か
では、サッカーにおける「状況」とはどういうものでしょうか。
文章が長くなりがちなのは自分の欠点なのでここでは短くまとめたいと思いますが、状況とは「箱」に例えて考えるのがわかりやすいと思います。
ピッチという箱の中は今、どんな中身なのか。そして局面局面で言えば、自分が今どんな箱の中に置かれているかを知ることです。
箱の大きさ、高さ、この中には味方や相手が何人いて、どこに出口があるのか、どうすれば出ていけるのか。
こんな例えが、一番しっくり来るのかなと思います。
小さな箱なのに、大きくジャンプしたら天井に頭ぶつけて痛い。
出口が反対側にあるのに、俺はこっちから出たいんだ!と駄々をこねていてもしょうがない。
状況とは、味方や相手によって作り出された箱。そして大事なのは、自分はその箱の中のどの辺にいるのかとか、どうすれば味方と一緒に箱から出ていけるのか、を考えるものではないでしょうか。
状況とは、経緯、背景も含まれる
少し話が飛躍しますが、状況とは、何も今そこにあるものだけのことでもないと思います。
目に見えるものだけではない。
その試合に至るまでの経緯だったり、その試合に臨む自チームが抱えている背景やストーリーだったり。
自チームだけの話ではなく、相手チームとの関係性などに含まれるそれまでの経緯や背景なども、当然ありますよね。
もう少し例を挙げると、
その相手は、自分達から見たら数段格上のチーム。そして1ヶ月前にも試合をした。その時、我々は作戦通りの素晴らしいパフォーマンスを見せ、大番狂わせを起こして勝利した。それは世界中にニュースとして駆け巡った。
そんな経緯があっての、再戦。
相手からしてみたら、どんな思いでこの試合に臨んでくるでしょうか。
そこをこちらは必ず想像して、想定して、それを上回る準備をして臨まないといけないですよね。
でも、1ヶ月前に勝ったからといって調子に乗り、その時と同じような戦略で試合に臨んだとしたら。
間違いなく、今度は返り討ちに遭うでしょう。
相手はどんな思いを持ち、どんな準備をしてきたのか。
1ヶ月前にこんな経緯があったからこそ、今度はこうなるはずだ⋯ など。
それらの経緯や背景は決して目に見えるものではないけれど、絶対に無視はできない「状況」そのものだとも思うのです。
ある名選手の引退試合だとしたら、その選手に花を持たせる。
こんなことも、スポーツだからこそできる素晴らしい「状況」そのものだったりします。
いい選手、の条件
状況を箱に例える話はアフォーダンス理論と同じような考えだとは思いますが、つまり端的に言えば「その箱に応じた行動をしましょう」そして「その箱から出ていくにはどういう方法がいいかな」という基準で判断をしていくこと。
その時々にピッチに現れる箱の大きさや中身、それに応じて、自分のプレーを変えていける選手。
その前提にはもちろん味方や相手との関わりがあり、もっと言えば、味方と相手の人数やいる場所、動き方も総じて言えば状況そのものなわけですから、それに応じて臨機応変にアジャストしていき、味方をさらに活かしてあげながら自分も活きるというような。
そしてもう一つ。
前段でも書いたように、目に見えない経緯や背景、それまでのストーリーなども含まれた「状況」を理解してプレーできる選手。
総じてそんな選手が、サッカーにおけるいい選手、と言えるのではないでしょうか。
最後に
少し強引な話の進め方だったかもしれませんが、味方と繋がりながら、相手との関わりの中でプレーをし、さらにその場の状況に応じて、水のように形を変えられる選手。
それだけでなく、その試合の背景にあるものもしっかり理解して受け入れた上で、全力でプレーできる選手。
こんな選手、想像したらめちゃくちゃエモいじゃないですか!
次回はこの「サッカーの本質を探る旅」シリーズの最終回となります。
お楽しみに!
【くぼっちコラム サッカーの本質シリーズ最終回はこちら】⇩
・サッカーの本質を探る旅・5【くぼっちコラム】