前回まで「サッカーの本質を探る旅」シリーズとして、5回に分けて「サッカーの本質とはいったい何なのだろう」というテーマでお伝えしてきました。
【くぼっちコラム|サッカーの本質シリーズ第1話はこちら】⇩
・サッカーの本質を探る旅・1【くぼっちコラム】
サッカーの本質とは何か。
この難儀なテーマをたくさんの理屈や御託を並べて偉そうに書いてきましたが、これまで25年間サッカー指導者として生きてきて、この「サッカーの本質」を知り尽くしている人に、実はたくさん出会ってきました。
今回は、そんな師匠たちの話を書いていきたいと思います。
大人よりも誰よりも、サッカーの本質を知っている人たち
25年間サッカー指導をしてきたと書きましたが、指導をしてきたというよりは、その時々で子どもたちに気づかされ、驚かされ、学ばされてきたことのほうが遥かに多かったです。
その中でも特に凄かったのは・・・
サッカーはじめたばかりの、幼稚園児さんたちでした。
園児は僕らの先生
その先生たちは、年齢にすれば3~6歳。もちろん彼ら彼女らは、それまでサッカーなど習ったことはありません。
ほとんどの子が、うちのクラブで初めてボールをさわり、ゴールというものを知り、味方がいて相手がいて、コートがあって、という仕組みの中で行われる「サッカー」というものに、初めて出会う子たちばかりでした。
でも、そんな子たちが見せてくれるプレーのいたるところに、こちら大人側としてはびっくりするような純粋な発想があったり「あぁ、確かにそうしたほうがプレーしやすいよな」みたいに目から鱗のようなことを、毎回毎回見せてくれるんです。
「それ、サッカーの本質そのものやんか」みたいなことを、初めてサッカーするような園児たちがやってみせる。
園児は僕らの先生。
この言葉が大袈裟でないほどに、園児から学ぶことは本当にたくさんありました。
真っ白だからこそ
まだ何も教えられていない園児たちのほうが、サッカーの本質を知っている。
それはなぜかといえば、彼ら彼女らがまだ何色にも染められていない、真っ白な状態だからこそでしょう。
その場で起きていることに全て純粋に反応してゆくし、興味ある現象が起きたらそこに一心不乱に没頭していったり。
そんな幼い子ども特有の自由な発想や行動こそが、実は「サッカーの本質」にとても親和性が高いものなのだと思います。それについては、後述しますね。
しかし、サッカーには選手がいて、そこには監督やコーチなどの指導者がつきます。
その指導者たちが、幼い子たちにたくさんのことを教えてしまう。
教えてしまうというネガティブな書き方をしましたが、教えなくてもいいようなことまで教えたり、まだ早いよねということを教えたり。そして何より、教えすぎは子どもの豊かな発想にフタをしてしまう危険性がありますよね。
最初は純粋で天然で、豊かな発想のもとに自由に思うようにプレーしていたような子も、だんだんと大人のバイアスにかかり、丸くなり、発想が出にくくなり、大人が知っていることだけしかやれない選手になってしまったり。あるあるです。
そのため、まだ幼い子には「大人が知ってるサッカー」を教えすぎず、強制せず、矯正もせず、自由にやらせてほしいなぁと心から願うばかりです。
その場に適応する天才たち
なぜ、園児は僕らの先生なのか。
なぜ、サッカーを始めたばかりの彼ら彼女らのほうが、サッカーの本質を知っているのか。
その理由は上述した通り、幼い子ども特有の自由な発想や行動こそが、実は「サッカーの本質」にとても親和性が高いからなのだと思います。
前回までの「サッカーの本質を探る旅」シリーズで、サッカーは「味方、相手、状況、ボールとの関わりの中で行うものである」という結論に至りました。
味方、相手、状況、ボール。
これらに、園児たちは見事に適応してしまうのです。
特に「今、その場で起きていること」に対しての適応力と発想力が、幼い子たちは総じて高いです。
サッカーでいえば、自分がボールを持っているときに相手が前に立っていたら、ほぼ多くの子が「じゃ、後ろに行こ!」ってなって、後ろにドリブルし始めます。「だって、前は通せんぼされているから」と。
これ、小学生以上になれば、コーチから「勝負しろ!」とか「逃げるな」とか声が出ちゃうケースがほとんど。それで「後ろから行く」というせっかくの発想が消えていきます。
急がば回れという昔からの言い伝えを、幼い子は純粋に実行しようとしているだけなんですけどねぇ。
相手が右から来れば左に逃げるし、その反対も然り。
「相手にボール取られた!守らなきゃ!」
という場合、多くの指導者はこう言うのではないでしょうか。「取られたら自分で取り返せ!」って。
しかし園児たち、守らなきゃ!というシーンではほとんどの子が超スペシャルダッシュで真っ先に帰陣し、自分たちのゴールを守ります。
そのほうが結果的に守れる、ということを知っているんです。
「相手をマークしてごらん」と言えば、多くの指導者は「相手とボールが同一視野で見える位置(つまり相手の後ろ)に立て」と言うでしょう。
しかし園児たちは「マークしてごらん」と言われたらほとんどの子が相手の前に立って、両手広げて相手を塞いじゃう。
「相手の邪魔をする」ことが守備の成り立ちでもあり原則でもあるから、実はこのほうが理に適ってますよね。
でも、大人になるとその発想が抜け落ちちゃう。そして違うことを教えすぎて、相手の前に立つという素晴らしく攻撃的で積極的な守備戦術を、いつのまにか忘れさせてしまうとか。これもあるあるです。
ドリブルしながら左に曲がろうとすれば、多くの子が一旦ボールの右方向に移動し、自分が左を向いてから「ほいっ」と方向転換していきます。そのほうがスムーズだということは、彼ら彼女らの本能が知っているのでしょう。
前回までのコラムも含め、ここまで書いてきて導かれる結論としては、やはりサッカーは「その場の状況に適応すること」が何より大事であり、そしてその適応することに関しては、実は幼い子どもたちのほうが、きっと優れているということなのでしょう。
しかし、サッカーを習って習って習うほどに、その本能はどこかに追いやられ、削られていってしまうものなのかもしれません。
大人の問題
そう考えると、そこに関わっていく大人たちが、そんな彼ら彼女らをいかに邪魔しないか、ということが大切になってくるのではないでしょうか。
何を隠そうこの僕も、園児は僕らの先生!などと言いながらも、彼ら彼女らの純粋な発想や本能から来るプレーを、大人のバイアスで削ってきた張本人かもしれません。
そこは自省しながら、これからも、彼ら彼女らが見せてくれるあっと驚く発想や自由なプレーから、たくさんのことを学んでいこうと思っています。
次回はまた違うテーマで書きますね。お楽しみに!