日本の国技、と言った時、皆さんはどんなスポーツを思い浮かべるでしょうか。
柔道、空手、剣道。それらと並んで世界に誇る日本のスポーツ、それが相撲です。
まわしのみを身に纏い、巨漢の力士達が土俵の上で心・技・体を競い合う熱い競技。
かつて武士と同じ身分で召し抱えられていたという“力士”という存在には、長年の伝統と熱い思いが今もなお受け継がれています。
今回はその偉大な競技、相撲について解説していきます。
相撲の起源・歴史について
相撲の正確な起源を辿ることは、非常に難しい点があります。というのも、歴史を辿っていくと非常に古い時代から、相撲らしき競技を行っていた記録が残っているからです。
日本の相撲の起源は、なんと古事記や日本書紀から登場しています。
例えば、古事記によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に遣わされた建御雷神(たけみかづちのかみ)が、大国主神(おおくにぬしのかみ)から指名を受けた建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りを賭けて力比べ=相撲をし、建御雷神が勝利したという記述が残されています。
かつての相撲とは、まさに神々が自らの威信をかけて行うものであり、文字通り神儀としての側面が強かったようです。(特に、件の建御雷神と建御名方神の場合は、最終的に建御名方神が本気で相手を殺そうとして、地の果てまで追い詰めたと記されています。スポーツというよりも、もっと戦いに近いものだったのかもしれません。)
古事記が712年ですので、少なくともその頃には人々に知られたものであったということでしょう。
農作物の実りを願い、祝う祭りの儀式として、以降300年もの間宮廷の行事としても続けられていたようです。
720年の日本書紀によれば、11代天皇の垂仁天皇が7月7日の夜に相撲を見物したという記録も残されています。
日本における相撲について
先述したように、元々は神々の勝負、あるいは神様への感謝・祈りの儀式としての意味が強かった相撲。それが少しずつ競技という形に変化していったのは、鎌倉から戦国の武士の時代のこと。
武士の戦闘訓練として、相撲は重宝されていたようです。特に相撲が大好きな武将として有名だったのが、かの織田信長。現在の大相撲のルーツを作ったのは彼だとされています。
1578年2月29日、織田信長は安土城に300人もの力士を集めてお抱えの力士達を競わせるという、まさに最初の相撲大会を開いたと言われているのです。
以降相撲は競技としても人々に広く親しまれるようになり、江戸時代には谷風梶之助や釈迦ヶ嶽雲右門、雷電為右衛門などといった歴史上最強とも謳われる力士達が登場するに至っています。
相撲と関連のあるスポーツ・派生したスポーツ
現在の大相撲力士の中には、モンゴルからはるばる海を渡ってやってきた外国人力士が数多く存在しています。
他の国の出身力士もいますが、やはりモンゴル人力士がひときわ多いというイメージを持つ人は少なくないのではないでしょうか。
というのも、モンゴルには“モンゴル相撲”という、相撲によく似た競技が存在し、その出身者が日本にやってきて力士として活躍する傾向にあるからです。
今やモンゴル人力士の存在は、大相撲にとって欠かせないものと言っても過言ではないでしょう。では、モンゴル相撲と日本の相撲は何が違うのでしょうか?
モンゴル相撲は、正式名称を“ブフ”、もしくは“モンゴリアン・レスリング”と言います。
大きな違いは、力士と違って衣装を身に纏って行うこと、土俵がないこと、手をついただけで負けにはならないことが挙げられます。数十秒で決着が着くことが多い相撲に対して、広い草原で、時には長時間かけて取っ組み合いをすることもある競技なのです。
力や技に加えて、豊富なスタミナも要求される競技であり、それがモンゴル人力士達の力の源となっているのは間違いないことでしょう。
相撲の競技人口について
近年、相撲の競技人口は減少傾向にあると懸念されています。柔道や剣道と比較しても非常に少なく、トップ選手とアマチュア選手の競技人口が逆転しているという、逆ピラミッド型のいびつな構造となっていると言います。
日本相撲連盟に登録されている競技者登録数は、平成10年に7684人だったのが、その10年後の平成20年には4715人にまで減ってしまっているとのこと。
日本の人口減少に加え、かつてよりも若者のスポーツ選択の幅が広がったこと、また“女子は土俵に上がれない”というかねてからの規則もあって女性に相撲が広まりにくい現状もあり、大相撲の人気に対して競技人口減少に歯止めがかからない状況になっているとされています。
相撲のルールについて
相撲の流れは以下の通り。まず塵手水(ちりちょうず)をもってして、“私は武器を持っていません、正々堂々と勝負します”ということを示します。そして両者円形の土俵に立ち、仕切りに入ります。最後に両者拳をついた状態から互いに目を合わせ、合図と同時にぶつかるのです。(ルール上、正面からぶつからなくても問題はありません。)
最終的には、どちらかの足の裏以外の場所が地面につくか、あるいは体が土俵を出た方が負けとなり勝負が決着することになります。
ルールは非常にシンプルですが、いくつか反則もあるので注意が必要です。例えば、相手の髪の毛=髷(まげ)を掴んで引っ張ったら反則。相手のまわしの前袋を掴んだら反則。
また、まわしが緩んで落ちた場合、落ちてしまった方が「不浄負け」という形で敗北することになります。
相撲の国際的な大会について
日本では競技人口減少が懸念される相撲ですが、国際的な人気は高いスポーツと言えます。
国際相撲連盟が主催する世界相撲選手権大会が男子は1992年、女子は世界女子相撲選手権大会という名前で2001年から行われています。開催地も様々であり、2016年にはモンゴル・ウランバートルで、2018年には台湾・桃園でそれぞれ開催され熱狂を博しました。
日本の大相撲と違うのは、それぞれ体重別にクラスが分けられていること。
Open(無差別級)、Heavy Weight(重量級、115kg以上)、Middle Weight(中量級、115kg未満)、Light Weight(軽量級、85kg未満)の現在四つの階級でそれぞれ大会が開催されています。
世界から見た日本の相撲の強さのレベル
先述した世界相撲選手権大会において、日本は第22回の台湾大会にて団体優勝を果たしています。個人でも、第21回のモンゴル大会にて、中量級で三輪隼斗が優勝を飾っています。
一時は、日本の大相撲においても、日本人力士が優勝できないことが続いていました。
しかし、2021年の1月場所においては、埼玉県出身の大栄翔関が初優勝。その前の年の11月場所においても兵庫県出身の貴景勝関が優勝を果たしています。
世界から見て、日本の相撲のレベルは非常に高い水準にあります。海を渡って、数多くの将来有望な若者たちが、大相撲を目指して相撲部屋の門戸を叩くのも頷けるというものでしょう。
まとめ
裸でぶつかり合うイメージもあってか、ハードルが高いスポーツというイメージもある相撲。
しかし、週刊少年ジャンプで相撲をテーマとした漫画『火ノ丸相撲』が人気を博し、日本の若者にもその魅力が広まりつつあります。
そして大相撲の時期ともなれば数多くの相撲ファンがテレビに釘付けになります。
力士の熱い戦いぶりに魅了される人々はけして少なくはありません。
ぜひ皆さんも情報をチェックして推し力士を見つけ、その活躍に注目してみてください。
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