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【相撲】歴史(起源~現在)を調査!誰がいつ始めたの?

日本の国技と言えば真っ先に思い浮かぶのが相撲です。

ただしこの「国技」には、国によって法令で定められたものとそうでないものがあり、日本では特に法令で国技を定めてはいません。

では相撲には国技と言われるだけの歴史や根拠があるのでしょうか。

今回は、相撲の歴史を調査。

どれほど昔から日本で行われていたのかをご紹介します。

【相撲】歴史 起源と発展

【相撲】歴史(起源~現在)を調査!誰がいつ始めたの?①世界には、レスリングやボクシングなど、長い歴史を持つ格闘技が存在します。

相撲もその一つ。

実はとてつもなく長い歴史を持っているのです。

最初の相撲

歴史上、相撲の起源とされるものが書かれているのは「日本書紀」。

紀元前23年(垂仁天皇7年)とされる野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の力比べが、日本初の相撲です。

ただし天皇の前で行ったこの力比べは今の相撲とは違い、キックやパンチもあり。野見宿禰が相手を殺してしまうという凄惨な対決でしたが、この2人が相撲の始祖とされています。

古代の相撲

神話的な起源以外にも、日本では4世紀頃の古墳時代の出土品から相撲人形が発見されています。

これは農民が豊作を祈る行事として相撲を行った証拠。

その後、奈良時代や平安時代には七夕などの宮廷儀式として相撲節会が行われるようになり、天皇の前で相撲を取る天覧相撲が行われました。

キックやパンチが禁止されたのもこの頃。

相撲の神話に魅了された奈良時代の聖武天皇がルールを定めたと言われています。

この頃にはまだ土俵はなく、相手の体を地面に付かせた者が勝ちという決まりでしたが、いずれにしても相撲が国技と考えられるだけの長い歴史を有しているのは事実です。

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武士と相撲

やがて武士の時代になると、身体を使った格闘は戦に必要な武術と考えられるようになりました。

その結果、「武家相撲」が武士の戦闘訓練として盛んに。プロの力士も誕生し、武家では優秀な力士を雇うようになりました。

中でも織田信長は相撲好きとして有名。

勝負の範囲を定める土俵を考案し、毎年、近江の安土城などに全国から力士を集めて相撲大会を開きました。

大規模なものでは1500人もの力自慢が参加。

信長は勝ち抜いた者を家臣として召し抱えた伝えられています。

【相撲】歴史 興行としての相撲へ

【相撲】歴史(起源~現在)を調査!誰がいつ始めたの?②神への奉納行事として始まり、武術として盛んになった相撲。

では現在のように相撲が興行として行われるようになったのはなぜでしょうか。

相撲の芸能化

宮中行事としての相撲節会は12世紀後半には廃れてしまいます。

一方で鎌倉時代に入ると勧進と呼ばれる興行が盛んになりました。

勧進とは、寺社や橋の建立の寄付を募る行為。

本来は仏教の布教活動を指す言葉でしたが、室町時代には芸能を催して見物料を取ることを勧進興行と呼ぶようになりました。

やがて相撲も勧進の出し物として人気に。

最初は寺社仏閣の寄付金集めのために勧進相撲を行なっていましたが、その人気から芝居のように見物料を取る芸能的な相撲興行になっていきました。

その結果、戦国時代には武将に召し抱えられる力士もいれば、興行で収入を得る力士もいるという状態になったのです。

江戸時代の相撲興行

戦国時代が終わり、平和な江戸時代になると、武術としての相撲は廃れる一方で、興行としての相撲はますます人気を集めます。

地位の高い一部の人々の楽しみだった相撲は一般庶民の娯楽に。江戸や京都、大阪で相撲興行が盛んに行われるようになりました。

一方で相撲がらみの喧嘩も多く発生し、幕府は何度も相撲禁止令を出しています。

このため相撲関係者は相撲の安全性をアピールするためにルールを厳格化

勝負の決まり手を48手に限定し、土俵を俵で丸く仕切るなど、現在に通じる相撲のルールを定めていきました

力士を養成する部屋制度ができたのもこの頃です。

明治の危機

江戸時代には隆盛を極めた相撲。しかし明治時代なってすぐに相撲は存亡の危機を迎えました

理由は明治維新による2つの法律、「散髪脱刀令」と「裸体禁止令」です。

「散髪脱刀令」は、髪形については自由、華族や士族は刀を差さなくてもよいという法令でしたが、一般には丁髷を切る義務があると受けとられたのです。

これが髷を結う力士には逆風に。

さらに「裸体禁止令」によって、ふんどし一丁で戦う相撲は野蛮であると言われるようになりました。

その結果、政官界からは「相撲絶対禁止論」まで噴出。

西郷隆盛や板垣退助、伊藤博文などが擁護した末、「力士消防組合」を設立し、社会奉仕活動をすることでやっと相撲自体の存続が認められたのです。

消防組合では力士たちはまさに十人力の働きを見せ、懸命に相撲を守りました。

再び神事へ

一方で大相撲界は、相撲好きで知られる明治天皇や伊藤博文を後ろ盾とするため、娯楽であった相撲を再び神事に格上げしようと尽力しました。

そのため、神道とのつながりを強調。

その過程で、土俵を女人禁制とするなどの制度も追加されました。

つまり女人禁制は明治以降の新しい決まり。

江戸時代まではごく普通に同じ土俵で女相撲も行われていたのです。

しかしこのような努力もあって大相撲は無事に危機を乗り越え、大正14年には今に続く日本相撲協会が誕生しました。

歴史上の珍四股名

現在もまれに変わった四股名の力士が登場して話題になりますが、江戸時代や明治・大正時代には珍四股名の力士がたくさんいました。

神事とは言いつつ、やはり庶民の娯楽でもあったことが分かるその四股名の一部をご紹介します。

〜生物の名前〜
・猪 丑松(いのしし うしまつ)
・大虎 寅吉(おおとら とらきち)
・黒猫 白吉(くろねこ しろきち)
・小猫 三毛蔵(こねこ みけぞう)
・三毛猫 泣太郎(みけねこ なきたろう)
・たこ勇 熊吉(たこいさみ くまきち)

〜道具の名前〜
・自転車 早吉(じてんしゃ はやきち)
・自動車 早太郎(じどうしゃ はやたろう)
・螺貝 鳴平(ほらがい なるへい)
・豆鉄砲 芳太郎(まめでっぽう よしたろう)

〜その他〜
・おだやか 常吉(おだやか つねきち)
・大丈夫 吾三郎(だいじょうぶ ごさぶろう)
・凸凹 太吉(でこぼこ たきち)
・突撃 進(とつげき すすむ)
・馬鹿の 善太夫(ばかの ぜんだゆう)
・ヒーロー 市松(ヒーロー いちまつ)
・文明 開化(ぶんめい かいか)

このほかにもユニークな四股名はまだまだあります。

気になった方はぜひ調べてみてください。

まとめ

神話から神事、武芸、芸能、そしてまた神事的意味合いを含んだ興行へと変化してきた相撲。

長い歴史の中には紆余曲折がありました。

伝統を守りながらも時代に合わせてその姿を変え、人々に愛されている相撲は、今後どのように変化していくのでしょうか。

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スポーツで人生楽しむ自然派ライター

筋トレとアウトドアをこよなく愛するライター。某FM局の作家時代、筋トレマスターに師事し、トレーニングブログを3年間で100本以上執筆しました。

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