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【大相撲】懸賞金の制度や獲得ランキングについて徹底調査!

懸賞金は大相撲ならではのしきたり。
大相撲中継をテレビで観戦していると終盤戦に近くになるにつれて番付上位の力士同士の取組や人気力士が登場します。
仕切りの合間に呼び出しの方々が企業名の記載された垂れ幕を持って土俵の周りをまわるのが懸賞旗です。
本場所での好取組、注目の取組では懸賞旗を持った呼び出しが何周も土俵を回ります。
今回は、懸賞金について解説。
その仕組みや歴史、獲得ランキングなどをご紹介します。

懸賞金ってなに?

懸賞金制度について

懸賞金制度は、日本相撲協会の公式ページによると、幕内の取組に限り実施され、企業名を懸賞旗に記名することで成り立つ企業広告。注目の取組や応援したい力士の取組に対して懸賞金を提供。その見返りに懸賞旗に社名が記載され、場内放送で企業名がアナウンスされるのです。
ちなみに力士の休場で取組がなくなった場合には別の取組に変更をしたり、懸賞を取り取りやめたりすることも可能です。

懸賞金の額

企業が供与する懸賞金は1本あたり7万円(税込)。15日間毎日1本供与すると総額は105万円(税込)になります。
15本が引き受け基準なので、最低でも105万円は必要です。計算してみるとボリュームディスカウントは一切ない定価。
またひとつの取り組みに何本も同じ懸賞旗が続く場面もありますが、例えば10本の懸賞を賭ければ7万円×10本、1取組あたり70万円ということになります。
毎日10本を15日間賭ければ70万円×15日の計1050万円です。

懸賞金の内訳明細や税金

懸賞旗1本7万円の内訳明細、気になりますよね!?
7万円のうち1万円は取組表への掲載手数料及び場内放送手数料として日本相撲協会が受け取ります。では6万円が力士のものに!?
力士が取組後に勝ち名乗りを受けて受け取るあの袋の中身、実は一袋3万円なのです。
では残りの3万円はどこに行くの!?実はこれも力士への手当になります。
日本相撲協会が一時預かりとし、力士本人名義の積立金として管理して納税資金として管理をしているそうです。想像のとおり、懸賞金は事業所得となるのです。
そして税金を差し引いたのちの余剰分については引退時に退職金と併せて支給される制度になっています。

【関連記事はこちら】⇩
相撲力士のお給料とは!?収入事情について徹底解説!!

懸賞旗の規定

懸賞旗には規定があります。記載できる文字は15文字以内、寸法は横70㎝×縦120㎝、そのデザインは懸賞主側で制作しますが、旗の上の部分には木の棒をつけること、下の部分には金色のモールをつけることなど、デザインには一定の制限があるとされています。

個人で懸賞金は出せる?

懸賞金は企業や団体のみが供与できる制度
個人で懸賞を出すことは原則的にできません。しかし、かつて特例もありました。
それは平成25年九州場所。あのビートルズポール・マッカートニーが自身のアルバム「NEW!」の宣伝として懸賞を出したのです。

森永賞

森永賞の存在はあまり知られていません。
これは国技館に設置されている森永の投票箱、ミルクキャラメルやチョコレートなどの空き箱に、今日の注目の一番だと思う取組をひとつ選んで書き込み投票するものです。
この投票は十両の取組が開始される15時30分をめどに回収。中入り後に投票結果をもとに森永から懸賞が1本供与される仕組みになっています。森永賞に選ばれた取組に投票した人の中からも、抽選で3名に「森永賞」として森永のミルクキャラメルなどの詰め合わせを贈呈。
この森永賞は昭和26年初場所から東京開催の場所のみ限定で行われています。

懸賞金制度の歴史

大相撲の特殊な制度である懸賞金。
その歴史はどのように始まったのでしょうか?

懸賞金がはじまる以前

懸賞金の歴史はなんと平安時代の相撲節(すまいのせち)という天皇が宮中で叡覧された儀式がはじまりとされ、勝った力士には麻や絹などの衣類やお米などが贈られたそうです。
江戸時代になると応援している言わばごひいきの力士が勝った際に纏頭(はな)と言われる祝儀を渡すことが盛んに行われるようになりました。
しかし明治末期には、ごひいき力士に軍配があがると「投げ纒頭(はな)」といって土俵に向かって自分の帽子や羽織などを投げ込まれるようになったそうです。
この投げ纏頭(はな)を力士は拾って支度部屋に持ち帰ると、取組後に投げ込んだひいきは支度部屋に現れて、その投げ込んだものと引き換えに金銭を渡したとされています。
なんとも粋なこの投げ纒頭(はな)ですが、初代の国技館が開館された明治42年に禁じられたそうです。

懸賞金のはじまり

懸賞金の制度が始まったのは、昭和24年の1月場所から
懸賞の数は1場所で55本でしたが、11年後の35年1月には約10倍の532本まで増えています。

懸賞金を受け取る作法のはじまり

力士が懸賞金を受取るときには作法がありますが、最初は力士それぞれが好きなように受け取っていました。作法が決められたのは昭和30年頃。当時の日本相撲協会の時津風理事長が手刀の作法を右手で左→右→真ん中に統一したと言われています。
これは心を表現する意味合いとされていましたが、現在では三柱への感謝の意に変わったそうです。

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気になる懸賞金獲得ランキング

懸賞金制度の変化

琴奨菊関の久しぶりの日本人力士の優勝に始まり、稀勢の里関の久しぶり日本人横綱の誕生、そして昨今の若手力士の台頭で相撲人気はコロナ禍においても健在です。
その影響で一場所あたりの懸賞の本数が年々増えてきました。
力士を指定して賭けるもので言うと平成29年夏場所では稀勢の里関を指定した懸賞が史上最多となる608本になったそうで、稀勢の里関が全勝すれば608本×3万円で1824万円の獲得にもなる高額です。
その影響を鑑みて平成18年に懸賞は一取組につき50本までという上限が設けられました。が、稀勢の里関が初優勝した平成29年初場所千秋楽の取組では、懸賞依頼が殺到し緊急措置として60本まで受け付けたそうです。
これを受けて50本だった懸賞の上限を改めて60本に緩和することになったそうです。
これには理由があり、呼び出しが20本の懸賞旗を持ち3周するのが時間内では限界なようで、それ以上の申し込みがあった場合には調整を余儀なくされるとのことです。

懸賞金ランキング

現在の幕内力士で令和4年の1月場所、3月場所の2場所で一番懸賞を獲得したのが当時東大関の御嶽海関、二場所で381本、獲得懸賞金は1143万円
次が当時東横綱の照ノ富士関、二場所で368本、獲得懸賞金は1104万円
第三位は当時西大関の正代関、二場所で218本、獲得懸賞金は654万円でした。
さて令和3年度、2021年の6場所では果たしてどうか。
第一位は当時東横綱の照ノ富士関、6場所で1304本、獲得懸賞金は3912万円、二位の当時東大関の貴景勝関637本1911万円を大きく引き離しました。
さてこうなればこれまで歴代一位の年間懸賞獲得力士は誰なのか、ですね。
こちらがそのランキングです。

順位本数力士場所
1位545本白鵬翔2015年(平成27年)1月場所
2位515本白鵬翔2010年(平成22年)11月場所
3位487本白鵬翔2016年(平成28年)5月場所
4位473本白鵬翔2011年(平成23年)1月場所
5位438本鶴竜力三郎2015年(平成27年)9月場所

また年度別では平成22年の白鵬関が2111本で史上1位。
第2位も平成24年の白鵬関で1990本、第3位も平成26年の白鵬関で1932本
なんと歴代ベストテンを全て確認すると平成17年の朝青龍関が1525本で7位に入っただけで、残りは全て白鵬関でした。
平成の大横綱である白鵬関が平成22年に手にした懸賞金の総額は1本3万円の手取りで計算するとなんと6330万円、稀代の横綱の証とも言えますね。

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まとめ

大相撲懸賞金の世界いかがでしたでしょうか。
日本の国技でもある大相撲、今ではモンゴル勢などの外国人力士にも門戸を開放し、また世界でも人気を誇る大相撲。
古くは大鵬柏戸、北の湖輪島、千代の富士、そして若貴時代、当時の日本経済を考えると白鵬のような懸賞金の金額は考えられないですが、現代に大鵬や千代の富士がいたらと思い馳せる懸賞金の世界でした。

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すぎさくしゃちょー

すぎさくしゃちょー

年々涙腺が緩くなるCEOスポーツライター

スポーツ選手のセカンドキャリアアドバイザー。 スクールウォーズとルーキーズを観ると涙が止まらない55歳。 人財測定コンサルタント/メンタルトレーナー/ブランド・プランナーなどの資格を保有しています。

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