2022年カタール大会で7回連続の本戦出場となったサッカー日本代表。
Jリーグ開幕の1993年に「ドーハの悲劇」で本戦出場を逃した日本代表は、その4年後の「ジョホールバルの歓喜」を経て、今やワールドカップの常連国となりました。
今回は、ワールドカップで日本に勇気を届けた歴代日本代表選手を特集。
24年に及ぶワールドカップ日本代表の歴史を振り返ります。
【ワールドカップ】歴代日本代表の軌跡
日本代表はワールドカップをどのように歩んできたのか。
代表選手一覧とともに各大会でキーマンとなった選手、各大会の顛末をご紹介します。
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1998年 フランス大会
フランス大会を語る上で欠かせないのは、本戦出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」。
最終予選最終節でアジア第3代表決定戦への出場権を獲得した日本は、後半30分の時点で1−2と絶体絶命の危機を迎えていました。
しかし途中出場の城彰二選手が起死回生の同点ゴール。
延長戦ではそれまで最終予選に一度も出番のなかった岡野雅行選手が投入されます。
延長後半13分、中田英寿選手のミドルシュートをその岡野選手が押し込み、日本はまさに土壇場で悲願の本戦出場を果たしたのです。
一方でこの予選後、チームの中心だった三浦和良選手と北澤豪選手が本戦登録メンバーから外れることに。
本大会直前の世代交代が大きな話題となりました。
そして迎えた本戦。
日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに敗れ、0勝3敗でグループリーグ敗退となってしまいましたが、ジャマイカ戦で中山雅史選手が日本唯一の得点を挙げます。
これが記念すべきワールドカップ日本代表の初ゴールでした。
監督 | 岡田武史 |
GK | 小島伸幸 川口能活 楢崎正剛 |
DF | 名良橋晃 相馬直樹 井原正巳 小村徳男 斎藤俊秀 秋田豊 中西永輔 |
MF | 山口素弘 伊東輝悦 中田英寿 名波浩 小野伸二 服部年宏 森島寛晃 平野孝 |
FW | 中山雅史 呂比須ワグナー 岡野雅行 城彰二 |
2002年 日韓大会
ワールドカップという夢の舞台が日本に訪れた日韓大会。
同時にこの大会は「黄金世代」が躍動する大会となりました。
中心となったのはセリエAの優勝にも貢献していた中田英寿選手と、UEFAカップで欧州制覇を成し遂げた小野伸二選手。
さらに世界2位を経験したワールドユース組がメンバーに揃ったのです。
日本代表はベルギー戦のドローで初の勝ち点を獲得すると、第2戦ロシア戦で稲本潤一選手が2試合連続のゴール。ワールドカップ初勝利を飾りました。
さらに第3戦チュニジア戦では森島寛晃選手と中田英寿選手がゴールを奪い、2−0と完勝。
決勝トーナメントではトルコに0−1で敗れましたが、初のグループステージ突破を果たしたのです。
監督 | フィリップ・トルシエ |
GK | 川口能活 楢崎正剛 曽ヶ端準 |
DF | 秋田豊 服部年宏 森岡隆三 宮本恒靖 松田直樹 中田浩二 |
MF | 森島寛晃 中田英寿 福西崇史 三都主アレサンドロ 戸田和幸 明神智和 小笠原満男 稲本潤一 小野伸二 市川大祐 |
FW | 中山雅史 鈴木隆行 西沢明訓 柳沢敦 |
2006年 ドイツ大会
日韓大会後、黄金世代の多くの選手が海外に活躍の場を移していた日本。世界最速でのワールドカップ出場権を獲得し、「史上最強の日本代表」と呼ばれました。
日韓大会のベスト16を超える成績を期待された日本代表ですが、オーストラリア戦の逆転負け、クロアチア戦のドロー、ブラジル戦の大敗で予選敗退となってしまいます。
試合後、中田英寿選手はセンターサークルで仰向けに寝転び、その後、現役引退を発表することになります。
監督 | ジーコ |
GK | 川口能活 楢崎正剛 土肥洋一 |
DF | 田中誠 茂庭照幸 宮本恒靖 三都主アレサンドロ 中沢佑二 坪井慶介 加地亮 中田浩二 駒野友一 |
MF | 福西崇史 中田英寿 中村俊輔 小笠原満男 稲本潤一 小野伸二 遠藤保仁 |
FW | 柳沢敦 高原直泰 大黒将志 玉田圭司 巻誠一郎 |
2010年 南アフリカ大会
出場権獲得後に結果が出なくなり、戦術を大幅に変更した南アフリカ大会の日本代表。
ゴールキーパーに川島永嗣選手を起用し、長谷部誠選手がキャプテンに。
さらに本田圭佑選手がワントップに採用されました。
練習でもほとんど見られなかったこの布陣が功を奏し、初戦カメルーン代表戦で本田選手がゴールを決めて勝利。
第2戦オランダ戦は0−1で敗れましたが、第3戦デンマーク戦では本田選手、遠藤保仁選手、岡崎慎司選手がゴールを決めて3−1と快勝します。
母国開催以外では初めてのグループステージ突破を果たした日本は決勝トーナメントではパラグアイ代表にPK戦で敗北しますが、新世代とベテランが一丸となった日本代表の姿を印象づけました。
監督 | 岡田武史 |
GK | 楢崎正剛 川島永嗣 川口能活 |
DF | 中沢佑二 田中マルクス闘莉王 今野泰幸 岩政大樹 駒野友一 長友佑都 内田篤人 |
MF | 中村俊輔 遠藤保仁 中村憲剛 稲本潤一 阿部勇樹 長谷部誠 本田圭佑 松井大輔 |
FW | 岡崎慎司 玉田圭司 大久保嘉人 森本貴幸 矢野貴章 |
2014年 ブラジル大会
当初は「谷間の世代」とも言われた選手たちが、この頃には世界を舞台に活躍。
本田圭佑選手、長友佑都選手、内田篤人選手、香川真司選手などに大きな期待が集まりました。
こうしてベスト8を目指して挑んだ大会。しかしコートジボワールに逆転負け、ギリシャにドロー、コロンビアに惨敗と、日本は1勝も上げられないまま終わってしまったのです。
日本代表は本田圭佑選手、香川真司選手、長友佑都選手が中心となって左から攻撃を組み立てて相手を崩し、右サイドハーフの岡崎慎司選手で決めるという形を4年間徹底。その結果、相手に対策を立てられたことや、初戦に敗れたためその戦術に自信を失ってしまったことが敗因だと分析されています。
監督 | アルベルト・ザッケローニ |
GK | 川島永嗣 西川周作 権田修一 |
DF | 今野泰幸 伊野波雅彦 長友佑都 森重真人 内田篤人 吉田麻也 酒井宏樹 酒井高徳 |
MF | 遠藤保仁 長谷部誠 青山敏弘 山口蛍 |
FW | 大久保嘉人 岡崎慎司 本田圭佑 香川真司 清武弘嗣 柿谷曜一朗 斎藤学 大迫勇也 |
2018年 ロシア大会
この大会では、ハビエル・アギーレ監督、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任で、開幕2ヶ月前に西野朗監督が就任。日本は苦しいスタートとなりました。
そして選ばれた日本代表メンバーの多くは、実績のある選手に。
この頃には「ビッグ3」と呼ばれていた本田圭佑選手、香川真司選手、岡崎慎司選手がメンバー入りしたほか、ワールドカップ経験者を11名選出。うち5名は3大会連続で、平均年齢28.3歳は過去最高という布陣になりました。
初戦コロンビア戦は大迫勇也選手の勝ち越しゴールで勝利。これはワールドカップ史上で初めてアジア勢が南米勢に勝利した試合となりました。
第2戦セネガル戦はドロー、第3戦ポーランド戦は惜しくも敗れますが、日本はフェアプレーポイントによってグループステージを突破。
決勝トーナメントでは当時FIFAランキング3位のベルギーと対戦します。
前半0-0からの後半開始早々、原口元気選手と乾貴士選手が連続ゴール。日本代表は2−0とリードを奪います。
しかしここから日本は2点を奪われ、後半アディショナルタイムにカウンターによって失点。「ロストフの14秒」と呼ばれる悪夢の展開で、日本は悲願のベスト8進出をまたも逃したのです。
監督 | 西野朗 |
GK | 川島永嗣 東口順昭 中村航輔 |
DF | 長友佑都 槙野智章 吉田麻也 酒井宏樹 酒井高徳 昌子源 遠藤航 植田直通 |
MF | 長谷部誠 本田圭佑 乾貴士 香川真司 山口蛍 原口元気 宇佐美貴史 柴崎岳 大島僚太 |
FW | 岡崎慎司 大迫勇也 武藤嘉紀 |
2022年 カタール大会
カタール大会で日本代表は、前回大会からメンバーを大きく変更。
ワールドカップ経験者はわずか7人で、19人が初出場という新鮮な顔ぶれになりました。
その一方で、アジアカップ、アジア予選、東京オリンピックを通じて主力選手をほぼ固定。
特に守備の連携を深めたのが特徴となっています。
監督 | 森保一 |
GK | 川島永嗣 権田修一 シュミット・ダニエル |
DF | 板倉滉 伊藤洋輝 酒井宏樹 谷口彰悟 冨安健洋 長友佑都 山根視来 吉田麻也 |
MF | 伊東純也 遠藤航 鎌田大地 久保建英 柴崎岳 相馬勇紀 田中碧 堂安律 三苫薫 南野拓実 守田英正 |
FW | 浅野拓磨 町野修斗 上田綺世 前田大然 |
まとめ
世界の壁に挑み続けてきたサッカー日本代表。
あるときは苦渋を舐め、あるときは日本中を歓喜に包みながら、選手たちは常に「まだ見ぬ景色」を目指してきました。
常に進化し、高みを目指す日本代表の選手たちは、これから私たちにどのような景色を見せてくれるのでしょうか。
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