運動部や企業などで本格的にスポーツをやったことがある人ならば、一度は考えたことがあるかもしれません。
「もし今のスポーツをやっていなかったら、自分はどんな競技をしていたのだろう?もしくは何のスポーツもやっていなかったのではないか?」と。
スポーツを始めるきっかけは人によってまちまちです。憧れの選手がいたから始めた人もいるでしょうし、あるいはたまたま見ていたオリンピックなどの中継で日本人が活躍し、自分も同じ舞台を目指したいと思った人もいることでしょう。
しかし、スポーツを気軽に始めることができても、全員がその世界で成功してスポットライトを浴びることができるとは限りません。こんなはずではなかった、とスランプに陥ることもあるでしょうし、故障によって道を断たれてしまう選手もいます。
そんな時に、別の競技に転向する道を考える選手もいることでしょう。そして実際、別の競技に行って成功する選手も少なくありません。
今回はそんな競技転向した選手たちと、その秘訣についてご紹介します。
どんな選手が競技転向を選ぶ?
先ほど少し触れましたが、競技転向する選手には“その競技で思うような成果が出せなかった”という人が少なくないようです。特に、故障に苦しめられた結果選手をやめることを選び、他のスポーツの道を探すというケースが多いようです。
有名な例が、元プロ野球選手である松谷秀幸選手でしょう。高校時代は、興南高等学校で2年からエースを務め、甲子園出場には至らなかったものの2000年のドラフト会議にてドラフト3位でヤクルトスワローズから指名を受けて入団しました。速球とカーブのコンビネーションが武器のピッチャーであり、活躍が期待されていましたが、非常に故障が多く肘の手術を3度も経験しています。
リハビリの結果、一度は怪我を克服し、2005年には自己最多の34試合に登板するものの、2006年には故障を再発させてしまい、戦力外通告を受けることになってしまいました。
その後はしばらくサラリーマン生活を送った後、当時横浜ベイスターズの投手コーチであった野村弘樹さんと親交があり、競輪選手をしていた佐々木龍也さんを頼って弟子入りすることとなりました。
その後競輪学校第96回生徒入学試験を受験して合格、競輪選手として本格的にその道を目指すことになります。最終的に、彼はなんと競輪の世界で通算優勝29回と大活躍を見せ、プロ野球から競輪に転向した選手達の中でも最多を記録しました。
野球と競輪なんて全く関連性がなさそう、と思う人も多いかもしれませんが、実は競輪に転向する選手は少なくありません。というのも、競輪という競技は他の競技と比べて、開始時期が遅くても成功しやすいという特徴があるのです。
日本競輪養成所の入所試験の受験資格が、他の競技と比べるとハードルが低いからというのもあるでしょう。満17歳以上の者で、日本国内に居住していれば試験を受けることができるのです。
野球から別競技を選んだ選手達
先ほど実例として挙げた松谷選手のように、元プロ野球選手が別競技に転向することは少なくありません。道具を使ってボールを遠くへ飛ばす、という点が共通しているゴルフの選手に転向する人もいます。
ゴルフの場合は、時間をかければライセンスを取ることは可能というのもあるでしょう。プロテストの受験資格は、16歳以上の男性ということのみであり、国籍は問われないからです。
もちろん、本職として活躍できるようになった選手はごくわずかですが、それでも尾崎将司選手(プロ野球時代の登録名は尾崎正司選手でした)は知っているという人もいるのではないでしょうか。
1965年に西鉄ライオンズに投手として入団した尾崎選手は、一年目から一軍に入りを果たします。引退してから、もしくは故障がきっかけで別の競技に転向する選手が多い中、尾崎選手の転向理由は異例とも呼べるものでした。
同期で入団した池永正明選手の実力に驚かされたことがきっかけだったのです。池永選手の投球を見て、自分の才能に限界を感じてか外野手に転向し、外野手として望んだ結果を出すことができずに退団。打撃コーチにゴルフへの転向を勧められ、ゴルフ選手への道を歩むことになりました。
その理由に関しても池永選手の名前を挙げ、「野球では負けたけど、違う世界ではあいつを追い抜きたい」と語ったとされています。ライバルの存在が、新しい道を探すきっかけになったのです。
その後、尾崎選手はゴルフ界でトップ選手にまで上り詰めました。賞金王12回、メジャー大会20勝優勝という華々しい実績を残しています。
他にも、元プロ野球選手から別の競技に転向した選手がいます。ロッテの前身である東京オリオンズに所属していた、元投手の龍隆行選手です。彼は退団後にボウリング選手となり、日本プロボウリング史上ナンバーワンサウスポーと呼ばれる活躍を見せました。
格闘技に転向した元野球選手もいます。プロレスで有名なジャイアント馬場選手も、元はジャイアンツに所属した野球選手でした。
格闘技から格闘技への転向は可能?
転向するならば、やはり似ている競技の方が成功しやすいのでは?と考える人は多いのではないでしょうか。
例えばキックボクシングや総合格闘技から、ボクシングに挑戦することを選ぶ選手は多いといいます。ボクシングは人気があり、金銭面のメリットが大きいからというのが最大の理由であるようです。
ただし、似ているからといって必ずしも元の競技の実力や特性が生かせるとは限りません。
例えば相撲と柔道には、同じように“一本背負い”という決まり手=技があります。しかし相撲では一本背負いは非常に大味な技であるため、柔道家が土俵の上で披露できる機会はそう多くはないことでしょう。
勿論柔道で鍛えた身体能力は相撲の世界では大いに役立つでしょうが、同じ技があるからといってそのまま別の競技でも使うことができるとは限らないのです。
また、相撲の場合は新弟子検査をクリアすることができなければ、相撲部屋に入ることも叶いません。最大のネックは、年齢制限でしょう。一般は23歳未満でなければ、どれほど別の競技で功績を挙げた人であっても部屋入りすることはできないのです。
別の競技に転向するにあたり、“資格を得るための規則やルール”が大きな壁となって立ち塞がってくることもまた、珍しくはないのです。
似ているはずなのに、サッカーからフットサルの転向は意外と難しい!
ならばもっと近い競技ならば、楽に転向することができるのでは?そう考える人もいることでしょう。例えばサッカーとフットサルならば、競技としての性質も似ているので転向するのは簡単な事ではないか?と思う人もいるかもしれません。
しかし、元サッカー選手でフットサルに転向した米谷悟選手によれば、“元々サッカーを頑張っていたからこそ戸惑ったことが多かった”と言います。
例えば、フットサルはサッカーと違ってフィールドプレーヤーが4人しかいません。その分パスコースがサッカーよりも少なく、パスコースが見つけられなくて焦ることが多かったとのこと。あとは、攻守の切り替えがサッカーよりも激しいので、心身共に追いついていくのに苦労したそうです。
反面、サッカーの経験が生きたことも多かったとのこと。カウンターのドリブルはサッカーに似ているので、広いスペースを与えられた時はサッカーでのプレースタイルを存分に生かすことができたそうです。
また、ボールが小さくて軽いため、サッカーをやっていた経験が生き、より強いボールが蹴ることができるようになっていたとのこと。違いに戸惑う段階を越え、新しい競技で自分の持ち味を生かすことができれば、前の競技の経験を活かして自分だけのスポーツをすることができるようになるのかもしれません。
まとめ
先述したように前の競技が合わなかった、あるいは故障で諦めざるをえなくなった、そういった理由で転向する選手は少なくありません。成功する秘訣は、今の自分の年齢でも始められるスポーツであるかどうか、資格を得ることができるかどうかをまず慎重に見極めること。
そしてもし、新しいスポーツでも自分の経験を生かしたいと思うのであれば、前の競技と新しい競技の違いをきちんと知り、己の持ち味を生かす方法を丁寧に模索していくことが必要なのかもしれません。
一つの競技に拘り、その道を究めたいと思う人も少なくないでしょう。しかし、競技転向をして成功した選手も多く存在しています。自分に合った新しいフィールドを探すのも努力であり、それは決して逃げることではないのです。
広い視野を持って様々なスポーツを知ってみることで、思いがけない選択肢が見つかることもあります。
今スポーツをやっている人もそうではない人も、メジャーなスポーツからマイナースポーツまで様々な方向を模索してみることで、新しい発見があるかもしれません。