プロ野球には輝かしい成績をチームでおさめるなど、そのチームの象徴のような選手・関係者などに対して、その選手が背負っていた背番号を「永久欠番」とする制度があります。
その人物の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために永久欠番が存在します。
始まりはニューヨーク・ヤンキースでルー・ゲーリックが使用していた4番を永久欠番にしたことがきっかけです。
日本ではどんな選手・人物が永久欠番となっているのでしょうか。
一覧にして紹介します。
プロ野球永久欠番の人物一覧
プロ野球界における永久欠番の人物を紹介します。
王貞治
【個人プロフィール】
生年月日:1940年5月20日
出身地:東京都
利き手(投・打):左・左
【永久欠番】
チーム:読売ジャイアンツ
背番号:1番
王貞治は「一本足打法」と呼ばれる打法からホームランを量産し、「世界の王」と呼ばれました。
通算868本塁打は現在も破られていない世界記録です。
そんな王を称え、背負っていた背番号1番が永久欠番となりました。
長嶋茂雄
【個人プロフィール】
生年月日:1936年2月20日
出身地:千葉県
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:読売ジャイアンツ
背番号:3番
長嶋茂雄は「ミスタージャイアンツ」と呼ばれ、王貞治と共に読売ジャイアンツが達成したV9を中心人物として支えました。
引退セレモニーで語った「我が巨人軍は永久に不滅です」という言葉は今もなお語り継がれる名言です。
引退後、監督としてもその才能を発揮し、5度のリーグ優勝、2度の日本一に導きました。
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黒沢俊夫
【個人プロフィール】
生年月日:1914年6月10日
出身地:大阪府
利き手(投・打):左・左
【永久欠番】
チーム:読売ジャイアンツ
背番号:4番
黒沢俊夫は現役中、「腸チフス」のため33歳という若さで急死しました。
「俺が死んだらユニフォームを着せて葬ってほしい」が遺言でした。
球団が黒沢の死を悼み、背負っていた背番号4番を日本初の永久欠番として制定しました。
沢村栄治
【個人プロフィール】
生年月日:1917年2月1日
出身地:三重県
利き手(投・打):右・左
【永久欠番】
チーム:読売ジャイアンツ
背番号:14番
日本プロ野球界を代表する大投手である沢村栄治は、数々の偉業を成し遂げるも1944年に戦死してしまいます。
その功績を称え、球団は黒沢俊夫と共に、背負っていた背番号1番を日本初の永久欠番として制定しました。
川上哲治
【個人プロフィール】
生年月日:1920年3月23日
出身地:熊本県
利き手(投・打):左・左
【永久欠番】
チーム:読売ジャイアンツ
背番号:16番
戦前・戦後を通じてプロ野球で活躍し、史上初の2000安打を達成しました。
現役を引退した後は監督として、王貞治・長嶋茂雄を率いてV9を経験しました。
金田正一
【個人プロフィール】
生年月日:1933年8月1日
出身地:愛知県
利き手(投・打):左・左
【永久欠番】
チーム:読売ジャイアンツ
背番号:34番
国鉄スワローズ、読売ジャイアンツで活躍し、プロ野球唯一である通算400勝を挙げた大投手です。
藤村富美男
【個人プロフィール】
生年月日:1916年8月14日
出身地:広島県
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:阪神タイガース
背番号:10番
阪神タイガース創設メンバーの1人で、不動の4番打者として活躍しました。
打者だけでなく、投手としても34勝を挙げるなど、二刀流の先駆者でもあります。
「1人の選手だけが着用した永久欠番」は藤村の「10」が最初で最後です。
村山実
【個人プロフィール】
生年月日:1936年12月10日
出身地:兵庫県
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:阪神タイガース
背番号:11番
「サドペック投法」で知られ、戦後唯一である防御率0点台を達成した選手です。
吉田義男
【個人プロフィール】
生年月日:1933年7月26日
出身地:京都府
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:阪神タイガース
背番号:23番
「牛若丸」の異名を持つ吉田義男は引退後、監督としてリーグ優勝も経験しています。
服部受弘
【個人プロフィール】
生年月日:1920年1月23日
出身地: 愛知県
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:中日ドラゴンズ
背番号:10番
捕手としてプロ入りし、本塁打王にも輝きました。
さらには、投手としても6度の二桁勝利をマークするなど二刀流として活躍しました。
西沢道夫
【個人プロフィール】
生年月日:1921年12月18日
出身地:東京都
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:中日ドラゴンズ
背番号:15番
初代の「ミスタードラゴンズ」として活躍し、投手としてプロ入りし、20勝を挙げましたが兵役から復帰したときに右肩を痛め、打者へ転向し、首位打者・本塁打王・打点王に輝きました。
衣笠祥雄
【個人プロフィール】
生年月日:1947年1月18日
出身地:京都府
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:広島東洋カープ
背番号:3番
赤ヘル時代を支えた衣笠祥雄は「鉄人」と呼ばれ、2215試合連続出場を達成しました。
山本浩二
【個人プロフィール】
生年月日:1946年10月25日
出身地:広島県
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:広島東洋カープ
背番号:8番
「ミスター赤ヘル」と呼ばれ、4番打者として活躍した山本浩二は選手時代だけでなく、監督としても活躍しました。
稲尾和久
【個人プロフィール】
生年月日:1937年6月10日
出身地:大分県
利き手(投・打):右・右
【永久欠番】
チーム:西武ライオンズ
背番号:24番
「鉄腕」の異名で知られた右腕で、「神様・仏様・稲尾様」と称えられたことは有名です。
大社義規
【個人プロフィール】
生年月日:1915年2月1日
出身地:香川県
【永久欠番】
チーム:日本ハムファイターズ
背番号:100番
日本ハムファイターズの初代オーナーとして、プロ野球の発展に貢献したことから2009年に野球殿堂入りを果たしました。
リーグ優勝時に着用していた「100」が永久欠番に制定されました。
ファン
【永久欠番】
チーム:楽天ゴールデンイーグルス
背番号:10番
チーム創設期の2004年に10人目の選手を意味して「10」をファンナンバーとして制定しました。
まとめ
今回は永久欠番となった選手・その関係者について一覧で紹介しました。
永久欠番になるということはそのチームの象徴とも言えるべき存在です。
今後どんな人物の背番号が永久欠番となるのか、注目していきたいです。
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