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オリンピックの歴史を詳しくご紹介!平和と希望の祭典!

コロナの世界的感染、そして一年の延期。多くの試練の果てに、最高の感動をもたらしてくれた東京2020オリンピック。

実際に競技場で観戦することはできませんでしたが、テレビの前で選手達を応援し、その活躍に熱狂したという人は多いのではないでしょうか。多くの波乱があったものの、全力でプレーする選手たち、スポーツの数々が人々を魅了してくれることに違いはありません。

特に今大会では、オリンピック史上最多となる33競技339種目が実施されたとのこと。スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手や、BMXフリースタイル、3×3バスケットボールなどの新しい競技が次々とオリンピックデビューを果たしました。

さらに、時世に合わせ、ジェンダー格差が最も小さくなった大会である、という評価も得ています。大会に参加した男女のアスリート比率はほぼ同率となり、至上もっともジェンダーバランスの取れた大会となったそうです。

人々の平和と希望の祭典、オリンピック。では、この素晴らしい競技大会はどのようにして始まったのでしょうか?
現在の形態に至るまでにはどのような苦難があったのでしょうか?

今回はその歴史についてご紹介いたします。

オリンピックのはじまり。

そもそも、皆さんがオリンピックと呼んでいるものは、“近代オリンピック”のことを指しています。

オリンピックのルーツはそれこそ紀元前まで、当時行われていた“古代オリンピック”に遡ることになりますが、古代オリンピックは近代オリンピックとは全く異なるものだったのをご存知でしょうか?

古代オリンピックは、紀元前9世紀頃に古代ギリシャで行われていた“オリンピア祭典競技”を起源としています。多くの大会やスポーツがそうであるように、このオリンピア祭典競技も元々は宗教的儀式の意味合いが強いものでした。

全能の神ゼウスと言えば、宗教に明るくない人であっても名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか。それらの神々を讃えるための、神域における体育や芸術の競技祭だったとされています。

ちなみに、オリンピックの直接の起源となったオリンピア地方で行われていたという“オリンピア祭典競技”の他にも、コリント地方の“イストミアン・ゲームズ”に、ネメア地方の“ネメアン・ゲームズ”、さらにデルフォイ地方の“ピシアン・ゲームズ”などが4大祭典競技として知られているようです。

何故四年に一度の開催となったのかといいますと、諸説ありますが、当時から四年に一度の開催のシステムがあり、太陰暦との関わりからそう定められたとされる説が最も有力視されています。
古代オリンピックもまた、近代オリンピック同様多くの観客たちを熱狂させ、盛り上がっていたものとされています。

しかし、紀元前146年にギリシャがローマ帝国に支配されたことで、状況が一変してしまいました。ギリシャ人以外も参加するようになった上、国としての宗教がキリスト教になったことで、オリンピア信仰の宗教的行事であった古代オリンピックもまた下火となってしまったのです。

結果、古代オリンピックは393年に開催された第293回大会が最後に終わりを迎えることとなりました。

古代オリンピックから、近代オリンピックへ

それから長らく月日が流れ、まさに古代オリンピックが終焉を迎えてから約1500年後。オリンピックを現代に復活させようと考えたのは、ギリシャの人ではありませんでした。

後の第2代IOC会長であり、古代ローマのメデイチ家の系図を引く近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタン男爵です。彼は陸軍士官学校卒業後、祖国であるフランスの教育を改革し、教育課程による体育の振興を願っていたと言われています。

現代のオリンピックのシンボルである、五輪旗を考案した人でもあります。彼は21歳でイギリスに留学した折に、スポーツの青年教育に及ぼす重要性を認識し、スポーツこそ青少年の教育に有用なものであると説いたのです。

1894年のパリ国際アスレチック会議にて、歴史に埋もれてしまっていたオリンピックの復興計画に賛同を求めたのです。それが2年後の1896年、古代オリンピック発祥地であるアテネで第1回の近代オリンピックの開催を決定づけるものとなりました

日本のオリンピック参加、そして翻弄された歴史

日本人がいつ、初めてオリンピックに参加したのかを皆さんはご存知でしょうか。なんと、最初の参加者はたった2人。1912年の第5回ストックホルム大会でのことだったのです。

短距離走の三島弥彦選手と、マラソンの金栗四三選手でした。残念ながらどちらも予選敗退と途中棄権により大きな成果を残すことができませんでしたが、この勇気ある2人の挑戦によって日本のスポーツ界に大きな前進をもたらしたことは間違いありません。

その後もオリンピックは順調に発展を遂げていきました。1920年のアントワープ大会では初めて「オリンピック旗」が披露されることになり、さらにお馴染みの聖火リレーも1936年のベルリン五輪から始まりました(聖火そのものが導入されたのは1928年のアムステルダム五輪からだったとされています)。

しかし、現在のオリンピックが“平等と平和の祭典”として確立されるまでには、いくつもの大きな問題があったのも事実です。時に各国の関係や戦争状態が、大会の開催や選手達の参加に大きな影響をもたらしてしまったこともありました。

特に第二次大戦は1940年、1944年のオリンピックを中止に追い込んでしまったことで知られています。また、日本とドイツは1948年ロンドンで開催された、戦後初のオリンピックに参加することができませんでした。
大きな戦争を開戦したという責任を問われ、開催国であるイギリスから強い拒否があったとされています。

また、この後の冷戦時代においては、オリンピックが政治的に利用されてしまったことでも知られています。

1980年のモスクワ大会は、前年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻に抗議する米国の呼びかけがあったことにより、カナダや西ドイツ、日本などの西側諸国を中心とした国々が参加をボイコットする結果となってしまいました。

その結果、次の1984年ロサンゼルス大会では逆にソ連をはじめとした東側諸国が報復のボイコットを行っています。

現在のオリンピックへ受け継がれるもの

クーベルタン男爵は、オリンピックの精神(オリンピズム)をこう唱えています。

「スポーツを通して心身を向上させ、文化や国籍の違いを乗り越え、平和な世界の実現に貢献すること」

この理想は現代のオリンピックにも受け継がれていることでしょう。

戦争ではなく、殺し合うのではなく、スポーツマンシップに則って選手達が堂々と力と力をぶつけあい競い合う。まさに現在のオリンピックは、国と国との垣根を越えた平和の象徴と言っても過言ではありません。

まさにオリンピック憲章に定められている通り。

「スポーツを通して、青少年を教育することによって平和でより良い世界づくりに貢献し、スポーツ文化を通して、世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ、相互の交流を通して互いの理解の度を深め、友情の環を広げることにより、住みよい社会を作り、ひいては世界平和の維持と確立に寄与することをその主たる目的とする」

時に選手や国の間でトラブルになることや、公平性を疑われることもあるかもしれません。スポーツとはまったく関係ないところで、その平等が実現できないこともあったのかもしれません。

しかし一人でも多くが、この基本理念を忘れずオリンピックを存続させていくことが、世界の平和にとってもより大きな意味を持つことは間違いのないことでしょう。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

現在の平和の祭典としてのオリンピックが生まれるまでには、数多くの人々の尽力があったことは言うまでもないことです。
オリンピックを無事に開催し、たくさんの選手が参加できる状況こそ、文字通り平和な世界を象徴していることに他ならないのかもしれません。

感動の東京オリンピックの熱が冷めない中、2022年の冬には北京オリンピックが、2024年夏にはパリオリンピックが控えています。

選手を応援しながら、多くの人々の努力とその歴史に思いを馳せてみるのも、新たなオリンピックの楽しみ方の一つかもしれません。

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初音

初音

おうちでまったり、頑張る人達を応援するのが好きです。

インドア派ですが、スポーツをはじめ頑張っている人達をおうちで応援してる系ライターです。子供の頃は水泳大好き少女でした。運動音痴だけどスポーツ見るのは大好きです!

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