2020東京オリンピックにも採用されて世界から再注目された空手。
武道でありスポーツ、護身術でもある空手は世界中で受け入れられています。
その空手が生まれたのは日本。
より正確には沖縄県で、そのルーツは琉球王国の時代にまで遡ります。
ではいったいどのようにして空手は誕生し、小さな島国から世界に広まっていったのでしょうか。
今回は、興味深い空手の歴史をご紹介します。
【空手】歴史① 起源
空手の源は、琉球王国の手(ティー)という武術だと言われています。
ではその源流である「ティー」はどのようにして生まれたのでしょうか。
実は「ティー」の発祥については2つの説があります。
久米三十六姓説
久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)とは、1392年に明から琉球王国に渡ってきた職能集団のこと。
彼らが那覇の久米村(クニンダ)に移住したときに伝えた中国拳法が琉球独自の武術に変化して「ティー」になったという説があります。
舞方説
舞方 (メーカタ)は琉球舞踊の1つ。
この舞方には音楽に合わせて武術のように手足を使う踊り方があります。
この踊りが変化して武術に発展したのが「ティー」であるという説もあるのです。
唐手の誕生
琉球王国の「ティー」は、士族が教養として学ぶ護身術として発展。
その後、さらに中国武術と融合して唐手(トゥーディー)が誕生しました。
唐手は、首里、那覇、泊の3つの地域を中心に発達。
多くの流派を生み出し、さらに1901年には沖縄の学校教育にも取り入れられました。
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【空手】歴史② 伝統空手の誕生
学校教育に取り入れられたのを機に、唐手の読み方は「トゥーディー」から「からて」に変化しました。
そしてある1人の人物が唐手を大きく変化させることになります。
空手の創始者
唐手の日本本土への普及活動を行ったのが、沖縄県師範学校教員の船越義珍(ふなこしぎちん)氏。
1922年、船越氏は東京の講道館で唐手を披露し、これを機に本土でも唐手が知られるようになっていきました。
1924年、船越氏は般若心教の空の概念、また手に何の武器も持たない「徒手空拳」の「空」から「唐手を空手に改める」と発表。
さらに名前だけでなく、船越氏は空手を学ぶ者の心得、空手道修行者の人生訓である「空手道二十訓」を提示しました。
沖縄秘術の「唐手術」は、こうして精神修養の道となったのです。
また柔道や剣道を視察した船越氏は、そこに取り入れられている段級制度が稽古の目標になると判断。
「唐手」はそもそも自分と向き合うもので試合は行わないため、級位や段位の制度はありませんでしたが、1924年に段級制度を導入しました。
そして柔道を見習って有段者は黒帯としたのです。
伝統空手の発展
「近代空手道の父」と呼ばれる船越義珍氏が本土で空手の普及に務めていた頃、他の流派も続々と誕生しました。
1929年には那覇手を修行し、本土で柔術も学んだ摩文仁賢和(まぶにけんわ)氏が開祖となり、糸東流が発足。
1930年にはこちらも那覇手を修行していた宮城長順(みやぎちょうじゅん)氏が体系化した剛柔流が興りました。
さらに1934年には、大塚博紀(おおつかひろのり)氏が柔術に空手の要素を加えた和道流を発足。
船越義珍氏が自らの雅号を取って名付けた松濤館流と合わせて4大流派が誕生したのです。
伝統空手はここからさらに枝分かれして発展したのですが、この頃には「伝統空手」という言葉はまだありませんでした。
【空手】歴史③ 実践空手の誕生
伝統空手という言葉が使われるようになったのは、それと対になる実践空手が誕生したからです。
寸止めの組手
従来の空手は、「形(演武)」を重視するものでした。
しかし戦後になると弟子の中から、試合(組手)をやりたいという声も上がるようになります。
そこで安全性を考慮して採用されたのが、相手に当てずに直前で止める「寸止め」でした。
これ以降、伝統空手は寸止めによる組手を続けています。
直接打撃制の創始者
1947年、全日本空手道選手権で優勝したのが大山倍達(おおやまますたつ)氏。
松濤館流を経て剛柔流を学んだ彼は、その後さまざまな格闘技を研究しつつ、世界各国を回りました。
大山氏の信念は「空手こそ最強」というもの。
「相手が倒れる程のダメージを与えられたどうかは、実際に相手の体を叩いてみないと判らない」と考えた彼は、寸止めに異を唱え、直接打撃制(フルコンタクト)を提唱します。
そして1954年に大山道場を設立。1964年には極真会館が発足し、ここから多くのフルコンタクト空手の流派が生まれました。
それ以降、フルコンタクト空手はより実践的ということで実践空手、従来の寸止め空手は伝統を守るものということで伝統空手という呼び名が定着したのです。
【空手】歴史④ 世界への広がり
もともとの唐手にも流派があったことから多くの流派が生まれた空手。
しばらくの間、それぞれの流派は独自に活動をしてきました。
しかし1964年に東京オリンピックが行われると、統括団体が必要だと考えられるようになります。
その結果、全日本空手道連盟(JKF)が設立され、1969年には統一ルールでの全日本選手権が開催されました。
この流れは海外にも広がり、1970年には世界空手道連合が発足。初の世界選手権が東京で開かれました。
世界空手道連合は後に世界空手連盟(WKF)に改称。空手は世界中で人気を集め、現在では165カ国が加盟するまでに広がりを見せています。
まとめ
世界には4000万人の愛好者がいると言われる空手。
その発祥の地は沖縄県でした。
中国武術や柔術などさまざまな要素を取り込んで進化してきた空手は、多くの流派が競い合っているところも魅力。
一方では伝統を守りながら、また一方ではさまざまな流派が誕生し、今後も空手は発展を続けていくのではないでしょうか。
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